がとう。一どきにつきました。学燈の本のこと。ありがとう。三一年というと、今日にしてみればその頃来るべき新しい時代の女性というものをどう考えていたかというようなことが逆に見られるわけでしょうね。その意味では或は面白いかもしれませんね。本当に十年前。もとより十年の間にも決して古びない婦人観はあり得るけれど、どんな視点でかかれているのでしょう。
 文学古典から、ということを、やはり考えます。トルストイはもうつかまえて居るのです、彼の性と女性との見かたについて。あといろいろたぐりよせるのですが、シェクスピアの「オセロ」なんかやはり面白いところがあります。『私たちの生活』の校正がもう出て、ね、大スピードね、百頁以上初校すみました。その間に、あれこれ次のこと考えている次第です。書く以上やっぱり美しい高いところのある本が書きたいことね。本にしろにせものと本ものとの区別出来る感覚をめざませたいことね。人間が発見してゆく智能というものの価値をしっかりとしらしめたいとも思います、プランがむずかしくて。科学の精神というものについてだってやっぱりはっきり書きたいのですもの。
 私の手紙へのこと。恐縮|仕《つかまつ》ったというところを読んで、何だかにやりとしてしまいました。即ち幾分ユリはてれたのであります、そして、そこにひろい大きい手のひらを感じ、おめにかかったとき、手紙書いたよと笑っていらしたその空気を感じます。
 あなたはおこらず、ともかく私の感じかたをきいて下すって、ありがとう。私にしろ土台から、プランをもって、まわりくどく手法的とは思っていません、そんな風に考える[#「考える」に傍点]ことは、私の自然の感情から不可能なのはあきらかです。でも、このお手紙に「ほとばしり」とあって、私はやっぱり面白いと思いました。ほとばしるものにはほとばしっただけの勢があって、それは流れているものとはちがった顔へあたる感じをもっているわけなのね。ですから、私は何だかキュッと感じて、その感じは苦しくて、ふくれたわけだったと思います。一番私の閉口なところに向ってほとばしったからでしょう、きっと。水鉄砲のように。
 三日のお手紙に云われていることは、くりかえし読み、又くりかえし考え、ここには何一つ納得ゆかないものはないと感じます。そのとおりであると思えることしかないわ、どこからどこまで。私だって、用事が用事だけ
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