たり寒かったりだから呉々お大切に。きょうはありがとうね、おっしゃったようにしたら口の中でとけるようでした、美味しく、美味しく。

 四月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月十九日  第二十信
 こんにちは。ああきょうは何とのんびりでしょう。花を自分で久しぶりに買いに出て、何となく柔かな春の花が机の上にふさふさとしていて。クロッカースというのは何にも大した花ではないし、やすい花ですが、こうして様々の濃淡であるのは美しいわ。そちらのヒヤシンスよく匂いましたろうか。
 きのうはね、あれから家へかえったら、仕事手つだってくれている娘さん来ていて、夕方お恭は留守になるし(金、稽古)私は云わば足かけ三年ぶりの仕事終ったのだし、実にのーのーしたくて、六時ごろ出かけて、日比谷の新緑見物いたしました。すこしおそすぎて、もう若葉にさす夕方の斜光の美しさはなかったけれど、芽立った樹々の重りの奥ふかい軟かさ、色調の変化の素晴らしさ。日比谷も全く見ちがえます。この公園は私たちの生活にどうもなじみふかいのよ。先は、接見許可をとりに行ってかえりにはすこし樹の下を歩くのが習慣でしたし、いつか冬の晩、父の命日の会食のかえりに雪見を寿江子としたり。新緑の日比谷は、日頃ここに手入れしている人をありがたいと思います。
 それから、一寸夕飯をたべて、咲枝の誕生日のおくりものに、やすくて可愛いタバコ入れを買って(のむのよ)新橋からのって、早くかえって早くねむりました。そんなにして、羽根をのしつつ、懐の中にひそめた一巻の詩集は、しっとりとした重さで私が見るものやきくものを共感しているというわけです。きのうはね、陽光のかげんで、むき出しにした若い女のひとたちの腕や脚が、新鮮な桃色の絵の具で艷々描かれたように見えて、描きたい衝動を感じました。新しい緑と桃色みたいなそういう人体の美しさを、それなりの自然の品のよさで画面にとりいれたら素敵ね。そういう人なかなかなし。
 新緑に感じる私の恍惚は一年の絶頂ね。秋もいいにちがいないけれど、新緑の美しさは夢中にさせるところがあります、そして、日比谷を歩きながら考えてね、新緑を見たいというとあっちこっち田舎を考えるけれど、足まめなら東京のいろんなところに新緑が見られるのだから、と。冬の雪、今ごろの新緑。リズムがあって、それで面白いのね。風景に。
 さて、十四
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