。枝のつやが何とも云えず新鮮で、本当に桜の枝という心持がしたのを思い出します。上落合の家の二階から、ぼってりした八重桜がうるさく見えたのも、きっと手紙に書いたでしょうね。今年は何だか桜もこまかに目に映ります。面白いものね。去年の今頃は、花もあまり目につかなかったのかしら。
さて三十日以来の手紙となりました。三十日のお手紙二日に頂きました。これは大変順調の早さに近づきました。
多賀ちゃんもいろいろに考えているようです。そして今は女学校教師になれる検定をとりたい希望ですが、何しろ高等女学校を出ていないので、その前に一年ぐらい実科高等女学校か夜間で高等女学校の資格をもっているところに通って、そこを出てから検定をうけるなら受けなければならないというわけです。四年の最後の学年一年やるわけですが、それへの編入試験をうけるには、英語や国語やその他の勉強がいるので、先ずさしあたり国語を、友達で専門学校の国文科出の女のひとについてやることになり、次の月曜から通いはじめます。
多賀ちゃんもいろいろ迷うでしょう。二十六七にでもなると、資格があってのことなら一向かまわないが、何もなしでそれは困るという工合。田舎では出来のいい子として通っていたし、自分でもそう思っているし、自分の力を一杯にやってみるのもよいでしょう。
女の子というもの、そして何かはっきりしたものをつかんでいない子、しかも何か心にもっている子、というものは日本ではなかなか困難しますね。そのことについては同情いたします。
『現代』の高見順の文章よみませんでした。でも、丹羽文雄にしたって誰だって、全く云われている通りよ。その点で本当に新しい人は殆どないでしょう。そこに彼等の現代性が寧ろあるのではないでしょうか。云うところの現代性というものは、そのとなりに何を持っているか、隣りとの間にどんな思想の廊下をもっているかと考えれば、合点がゆくし――。文芸のつづきの仕事のなかで、丁度そのこと考えていたところでした。
×や△というような作家たち(婦人の)は、進歩しようとする意欲に立った文学の動きに、はっきり自分を対立させて出た人たちです。男心の慣習に描き出された女心をポーズとした人たちです。それなら何故横光や小林のようにその文芸理論をふりかざしてたたかわないかということ、ね。これは大変面白いところです。ジョルジ・サンドやマダム・ド・スタエルのないのはなぜか。日本の明治以来を見たって、一葉にしろ晶子にしろ、自然発生に彼女たちの芸術境をつくったのであって、既往の文学理論に対して新たなものを樹てたのは、一葉の時代は文学界のロマンチストたちであり、晶子のは鉄幹です。女が男と共に文学上の責任をとっていなかったのが歴史です。だから近代に到ると、そのおくれたところを逆に自由職業的につかって、女の作家というところで、文学運動などとはかけかまいなしに、いきなり文学の購買面と結びついてゆく。そのことを、進歩をめざす文学では共通な人生への態度とともに、共通な文学理論をもって女もその文学の成長のためには責任を自覚して動こうとしたことと対比させて書いたところでした。
いつかあなたが下すった手紙の中に、ユリだって一人の婦人作家として片隅に存在して来て云々とありましたの、覚えていらっしゃるかしら。私は実はあのときは(二年前ぐらい)大変くやしいと思ったの。あなたは私を一つピッシャリやったような、ということ知って書いていらっしゃるのかしらと思いました。けれども、今自身で歴史的に見わたせて来ると、そのことが私の主観にどのようにくやしかろうと、客観的にはそのとおりであったと思われます。(しかし、又その片隅の存在と云われていることの内容として、たとえ片隅の存在であろうとも、とおのずから微笑するところもあるわけですが)
この婦人作家の、片隅に一かたまり式存在には、いろいろ深い歴史性がありますね。非常にそう思う。一かたまりに片隅に片づけようとする何とはなし男の作家の作家以前、芸術以前のものがつよく作用していてね。それを、又女のくせに、あっち側へまわってしまって渡世のよすがとするものがあったりして。
私いつか勉強というものの底力が大切といっていたでしょう。あのことは具体的にはこういうところにもかかわって来るわけです。本当に女の作家は自然発生的よ。ですからこの現実の中での限度に限られた現象描写に終って、それならばどこで特長づけるかといえば、「女らしさ」で色づけでもするしかないわけですものね。バックのこと、全くそうです。明瞭にそのことはわかります。前にもこのお手紙と同じ感想をかかれていましたが。あのときより今の方がきっと一層よくわかって来て居りましょう。そして、女の真の女らしさで、女をみていますし。女らしさを、男対女、情痴的な面での姿でだけ見るのも私にはバカバカしい。しな[#「しな」に傍点]をしなければ色気がないという旧式な観念は、まだまだつきまとって居りますからね。私小説でない性格は、たとえ、自分のことを書いたとしても賦与されていなければならないと思います。少くとも私たちの「私[#「私」に傍点]」は。そうでしょう?
四月二日の速達は、二日のうちにつきました。あの日は午後からいやな会があって、夜仕事のためにおそくまでそとにいて、くたびれきっておそくかえって来たら、頼んでおいた電話のこと多賀ちゃんが一つもしていないのでいいかげん斜めになったところへあれをよんですっかり情けなくなって、それで猫をしかったでしょう、ということになったわけです。多賀ちゃんを私が叱ったのではないのよ。私があまり困って情ない顔をしたので、多賀ちゃんも責任を感じて、文楽堂へはっきりとした声でデンワかけたというわけなのです。でも、もう文楽堂はおやめです、いそぐ本は。自分たちで結局何度も行くことになったのですもの、はじめからその方がよっぽどいいわ。ですからどうぞ今後は御安心下さい。
天然痘ひどいこと。種痘しておいて本当によかったと思って居ります。お母さんからのお手紙で六月六日にはそちらのこともあり、もし二三日しかいられないようなら却って寂しいから、せめて十日もいられるようにして来られるとき来てくれればよいとのことでした。今のところはまだはっきり申せないわけですね、何も。それから、達ちゃんの健康のことよく申上げましたら、あなたからもお話がありましたって? よくそのようにするとのことでしたからようございます。大分出発のときもおっしゃっていられましたが、それはハイと云わずには居られませんもの。でもはっきりお胸に入ってようございました。野原の方のことは、私は何もふれません。
ああ、お菓子は紅谷で(神楽坂)ワッフルをお送りしました。あれはもちもよいから珍しいでしょう。隆ちゃんに送るものも近日中にすっかりいたしますから。今木綿のキレがないので、カンヅメ類を送る包装がうちで出来にくいのです、袋を縫っていられないから。だから三越ですっかり包装させて送ります。
どうかいろいろのこと、お体に無理にならないように。やっぱり寝汗おかきになりますか。本当にお大切に。くれぐれもお大切に。
私の方、全く徹夜ナシでやりました。本月ずいぶん忙しいが、これも徹夜ナシでやりとおす決心です。徹夜なしで規則正しくやるとなかなか能率的です。三月は小説を二ツ(六十枚、二十七枚)入れて一六四枚かいています。読書は十三日から三二頁。先月はすこし無理でした。疲れたままこの月の仕事をしている感じで。では又月曜日に。これから久しぶりにおふろです、水も節約。それより時間がなかったので。
四月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十一日夜 第二十六信
きのうの夕方も今夜も何と不思議な静かさのみちた晩でしょう。この間うち余り風が吹いて家じゅう揺れて、街では吹きまくられていたから、風がなくなった、こんなにしずかなのかしらと、あたりを見まわすようです。部屋の中も明るくて、底までしずかで。本当に何だかじっとしていられないしずかさ。
二階へ来て物干に出て見たら、西空の方にばかりどっさり星が出ていて、朧月もあって、その下に仄白く満開の桜の梢が見えます。家々の灯が四角や丸やの形で屋根の黒い波の下に見下せて、街燈がない界隈はしずかなそして不安な春の夜です。
この頃どうしてかちょいちょい街燈がつきません、大通りはついているのですが、家のまわり。
下弦の宵月、花の上の朧月。昼間は咲き切って、もう散りはじめた花が白くあっちこっちに見えて冷淡のように見ているけれども、こんな晩は春らしくて面白いこと。犬の吠える声が遠くにきこえたりして。こんなしずかで、しずかさに誘われて心が動くようなのこそ春宵の風情でしょう。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で五月、俄《にわか》に樹々が新緑につつまれて夜気の中で巻葉のほぐれる戦《そよ》ぎがきこえるような夜を思い出します。空気は濃くてね。公園のアーク燈に照らされた散歩道には、人の流れが絶えなくて。いくらアーク燈があかるくても照しきれない新鮮な闇がゆたかに溢れている、そんな夜の光景。ゆうべはこのしずかさが驚きで、ほら、思わずぐっすり眠って急にさめたとき、物音が耳の中で遠くにきこえるようなことがあるでしょう? あんな風でした。そして寂しゅうございました。
今夜は割合馴れて、しずけさの中に身をおいて、何か書くのも楽しいという工合です。
例年、私は花時分が閉口です。今年はややましな方かしら。神経が実に疲労いたしますね、今頃は。
きのう、あなたが、いかにも悠々して気分も悪くなさそうに笑っていらっしゃるのを見たら何だか頭が楽になって。きっと、それがきいたのね。この頃うち、頭が苦しくてね、袂の下へつっこみたくて仕方がなかった。
きょうはましですから、もう大丈夫でしょう。この数日間は、おそろしい能率低下ぶりでした。(手帖見たら、でも二三日です)そんなような顔して居りましたろう? 尤も私はいつも丸きおユリで不景気ぶりを表明しないのかもしれないけれど。
マア多賀ちゃんの療治のこともきまって、あとは、ずっとそのお医者の忠告にしたがってやって行けばよいから一安心です。費用は今はとりません。あとで相当のことをしなければならないのですが。
そのお医者はね、親切な人なの。津軽弁でね。ところが全く滑稽なことには、石坂洋次郎と大変よく似ている人なのです。石坂とはこの間座談会で一緒になって、その津軽べんもきいたし、顔も見たし撫で肩で小さい姿も見たし、満喫なので、白い上っぱりを着た人が、まるで似ていたら何だかこたえてしまって。可笑しいでしょう? でも作家は少くとも津軽産は一種の共通性をもっています。石坂、平田小六、深田久彌、太宰治、顔がつるんとしたようで撫で肩かどうかしらないけれども、現実に主観のこってりとした隈《くま》をつけて、一種の執拗さ、エロティシスム、ニヒリスム、あくどさ皆ある。深田が一番都会化して、それらを知的なものにしようとして中途半端ですが。そして狡さもある、芸術家として。薄情かと云えばそうだとは云えず。やっかいなものです。平田は、北京で頭一つ叩かれては五円借りて歩いている由。この平田がナウカのあった頃かいた「囚われた大地」という小説を、房雄はトルストイの作品に匹敵するとほめました。木星社に居た人。ですから私は評論集のときから知っていたから、「あなたもわるい時世に生れて、あんな小説をトルストイの云々ともち上げられる大不幸にめぐり合うのだから、しっかりしなさい」と云ったことがありました。
お医者様は、作家ではないし、又、種類もちがう人ですから(人となりが)私は撫で肩男一般への自分の好みを超越いたします。
ホグベンの『百万人の数学』は大変いい本だそうです。そしたらきょう同じ著者が『飢餓と疾病の撲滅』というような題の本をかいているのを見て(ホンヤク、出版)非常に感動しました。阿知の知性を又いうが、知性とか人間性とかは、こういう真向きの暖いものもある筈です。ねえ、数学
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