ら追々生活的にも目ざめて来る心持のうつりかわり。父と娘との風変りな生活。いろいろこまかいものです。決して通俗的に書かれていません。ニュアンスでよませてゆくようなものです。けれども、何だかまだまとまらないけれども、何だか感想があります、何か心にひっかかっています。このひっかかったものは面白いからしきりに考えているのですけれども。何だか変な気というかしっくりしない気というかがするところがあって。本当に何なのでしょう。いずれ又わかったら、どうせかかずにいないでしょうけれど。三人称でかかず一人称のところが、却って作者と距離をこしらえているのかとも思うけれど。眠くてしかたなくなったからまだ九時半だけれど御免なさい、ね。
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 第二十三信
きょうは日曜日。可笑しい可笑しいことおきかせしましょうか。ゆうべは私眠たくて、九時半ごろ二階に上ってしまいました。いろいろあなたのおっしゃった詩の話や小さい泉子の話思いかえしながらすぐ眠ってしまいました。夜中に一寸目をさまし。そのまま又眠ってけさ、時計がうつ音で目がさめたの。おや何時かしら、一《ひとう》つと数え、二つ三つとかぞえ、九時ごろになったのかしらといい加減びっくりしていると、八つ打ってもまだやまず、九つうってもまだやまず、どう? 十一打ってやっとやみました。ホーホーと笑い出してしまった。十時から十一時迄は十四時間よ。びっくりしてドタドタおりて行ったら多賀ちゃんが、ホーと云って笑い出しました。どういうことになったのかと思ったのですって。私のいびきは下へもきこえるのですって。それがけさは、クーともスーとも云わないで、下りて来ないし、どうしたのかと思ったって。いびきは体か頭のつかれのひどいときかくのね。十時間も眠ってあとの四時間ぶんいびきかく必要がなかったのでしょう。何と眠ったでしょう。うれしくって。いい心持で。これで一時ごろねたりしてのことなら私はこんなにホクホクして手紙になんか書かないでしょう。気がひけているわ、きっと。ところが十時に眠ったのですから、素敵だと思います。いいわねえ。自分が可愛くなってしまいました。この間うちの疲れが出ているのでしょう。こんやも又早く早くねるの。楽しみ、楽しみ。可笑しいでしょう? ひどい風だしくたびれるのよ。あなたもお笑いになるでしょう、そしてそれはよかったねとおっしゃるでしょう。
この前の手紙、たった四枚の、あれは手紙にも疲れが出ているようなのでした。書きながらそう感じました。
きょうはチョコンとしてよく眠ってぱっちりして、泉子をつれて、あなたの前へ坐っている、そんな感じ。この感じも大変面白うございます。
きょうはね、すこし仕事しようと思っているのですけれどその前に、すこし、こうやっていろいろの話。多賀ちゃんは今、動物園と有斐閣へ行っているのよ、動物園で面白いグラフィックを売っているの。それを病院にいる健造にやろうと思うの。あしたそちらからのかえりに。八人の子供たちがいるのですって、その部屋には。少年の心持で、初めて病院の暮しどんなでしょう。あしたはそのグラフと『ジャングル・ブック』をもって行ってやります。たべるものは分らないから果物(オレンジ)を少々だけにして。
このうちにたった一人、私たち二人きりの感じ面白く思います。二人っきりという特別の感じは、やっぱりほかのひとがいるとない感じね。こんなことを話している声の調子も何となく低まって、わきにいるひとにだけきこえればいい、そのひとにだけきこえる声でものを云っているといういい心持。これも親密な面白い感情。私は意味のない、それでいて深い深い心のある鳩のような声でクウーと云って見たい心持です。クウーと喉をならしながら鳩は膝から胸へ、胸から顔へ、クウーとよってゆくでしょう。それをうつひとはないわ、ねえ。
泉子の様子をお目にかけたいこと。少女から若い娘になって、紅梅のような風情でしょうと思うのですけれど。決してわすれずたよりよこします。ふーっとせき上げて来る心持があって、覚えずたよりよこすと云った風です。つつましやかで、しかも充実した横溢性をもって溌剌としているところ、いかにも女です。そして、あなたも御存じの、いづみ子のごく仲のよかった子、その子への心持も段々成熟して来ているのは本当に面白いところです。心の成熟というものは微妙ですね。幼い思い出ばかりにとどまってはいないのね。やはりきょうにちゃんときょうを生きているのですもの。全く近く、全くさながらそのように感じる瞬間をもっているのは不思議な心の力です。私は神秘家ではないけれど、それとは全く反対の現実の活々とした豊富さという意味で、例えばいづみ子がそういう瞬間の横溢の刻々のなかで成熟し、ゆたかにされてゆくことに驚歎いたします。彼女はもとからそうでしたが、やはり敏感です。愛に感じやすくて。よろこびが戦慄のように走るとき、何と上気して気を失いそうになるでしょう。ひき入れられるような身ぶりのとき、いづみ子が声ない叫びで微《かすか》に唇をあける様子、そのふれる感覚にまかせてゆく風情。非常に趣ふかく、昔の物語りの表現ではないがあわれふかい趣です。
本当にあなたが御覧になったら何とおっしゃるでしょう。ふりわけがみの幼なじみが今のいづみ子に会ったらきっとおどろき、そしてどんなに恋着することでしょう。彼女にとってそれは意外ではないのですものね。自分の心は知っているのですもの。このこの成長、美しくゆたかな成長はみものと思われます。
私はよく自分が女の芸術家に生れ合わせて、いつか何とかして、こういう微妙きわまる女のいのちの姿を描き出してみたいと思うことがあります。
岡本かの子はそういう生の力を或点やはり感じていたのでしょうが、その表現、その再現の世界は、謂わばそういうものに感動する自分の様々の姿を鏡にうつしてみて、我から我に惚れている範囲ですし。
アベラールとエロイーズの話、御存じでしょうか。この二人は二人で神のなかへ没入してゆくことで自分たちの愛の完成をとげようとした中世の男女ですが。かの子の世界でもなく、アベラールたちの世界でもない、リアルな情感の世界があるということ、そういうものも歴史のなかで発生していること、それが芸術化してみたいと思います。でもこれは大変むずかしいでしょう。そういう可能の諸条件というものは、作品のうしろにおかれ得ないでしょうから。単な人間性のゆたかさというものからだけ描けるものでもないのだし。
こういう美しさが立体的に描き出されてこそ新しい文学の溢れる甘美さはあるのでしょうけれどもね。
この頃かの子の文学の本質がわかるようです。彼女の小説は女がかいた小説ではなくて、小説の肉体は男の肉体での文章やコンストラクションや何か。いつか書いたようにあれは合作なのだが、その合作ぶりがね、妙な共通の感覚的渾一においてされていて、そういう精神状態でされていて、精神の歓喜像としての作品ですね。
文学だからこそそういうものも生れると云えるかもしれないのに、そういうものならそういうもので、何故あの夫妻は芸術家一体としての自分たちのそういう独特性に十分のよろこびと誇りとをもって、二人の作品としておし出さなかったでしょう。何故かの子作にしたのでしょう。一平は、そういうかの子を又描いていなかったのでしょうか。
私は川端や何か芸術がわかるというひとがこの点にふれて云わないのが妙で仕方がありません。世俗の礼儀はすてた世界だのにね。俗人なのね、彼等本心は案外。
きょうこれから、友だちのことをかくのです。私は今有名な友達たちのことばかりはかかず、小学の時代に仲のよかった女の子のことからかきます。その子が芸者になりました。その後どうしたでしょう。
それから女学校時代の仲よしの四人組。その後の〓〓生活の自主性のなさからのはなればなれの工合。〔約三字分不明〕一番はじめての小説を下がきを終った夕方、じっとしていられなくて馳けつけたのは、その四人組の一人の娘のところでした。そのひとは、後に、親たちを安心させろ、という手紙をよこしました、私の親たちは安心していたのに、とことんのところでは。いやね。それからあみのさんや何か。それから又今の友達たち。いろいろの時代と歴史が反映してゆく、そのままに描いて見ようと思います。こういう風にまとめてかいたことはないからきっと面白いでしょう、自分にとっても。友だちたちのなかには、友だちの男のひとたちも入れましょう。私たちが友だちという場合の自然なひろがりですから。
友だちと云えばてっちゃん、火曜日にそちらへゆきますそうです。明日そんなことお話しいたしますが。
詩集の話、この間の「春の物干」という題の、やっぱり面白くお思いになったでしょう? ああほんとに、そういうのもあったね、とお思いになったでしょう、「窓の灯」というのもあって私は屡※[#二の字点、1−2−22]思い出します。その窓に灯がついていないとき、がっかりした心持、というかき出しの。あったでしょう? 今に灯かげは外へまで溢れる季節になりますね。では明日。
三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十日 第二十四信
きのうの朝おきて何とうれしかったでしょう、風がなくて。三四日お話のほかでしたね。春はこれで閉口です。
きのうときょうは多賀ちゃんのお使者で。私が無理をしていたのではなかったかとおきき下さいましたって? それからきょうは大変御機嫌がよかったって? いろいろそういう話、何度でもくりかえしてききそうになって、ああもう四度目ぐらいだ、やめとこう、と思いなおす次第です。
きものの話ね。長襦袢がもうじき出来ます、昔、アキスにとられておしまいになってから、以来は季節ぬきのものを着てばかりいらしたから今年は、すこしまともなのをお着せいたします。さっぱりした落付いた、いいのよ。私がそんなもの選んだり縫わせたりするのは一つのうれしいことなのだからもうすこし待って着て下さい。四月五日迄に届けますから。
本のこと、きょう、やめていいと仰云ったの一冊十五円だってね。あのリストの皆注文してこれも二冊云ってあったから、マアとびっくりして早速とりけしました。
揃ったらおっしゃった五冊だけそのようにいたします。
ホトトギスというものは、一声をききつけて戸をあけるともう姿は見えないというけれど、一度その空を飛んだことだけはたしかです。うちのウソは行こう行こうと鳴くばかり、ね。洒落にもなりません。
笑っていらしたって。そうきくといくらか安心いたします。
日当のこと、もうじきわかりますが、旅費としてそちらへ行く分なんかないのよ、そうらしい様子です。はっきりしましたらいずれ。
お手紙はまだ着きません。ついたら、ああ御苦労さま、と云ってやりましょうねえ。本当に。この近いところを十日以上かかるためにはどんなに手紙もくたびれるでしょう、可哀そうに。
けさは、私は妙に眼が充血して痛んで、すぐ仕事しようと勢こんでいたのに、多賀ちゃんを出してから、リンゴをすって、それをガーゼにつつんで昼まで両方の眼をひやしました。昨夜眼を洗いたいナと思ったのにホーサンがなくて、けさはもうそう。風がひどかったためでしょう。もう大体大丈夫。しかし今夜はホーサンで湿布してねます。今、一つ書き終って、河村さんや何かにハガキかいて。――そう云えば中村やの話、おききになりましたでしょう? ひどいわね。それに、ああいうところでものを買うのは女が多くて、女の盲信的なところが又いかにも郊外住居の中流人趣味があって、あすこの混雑には反撥するものがあります。※[#「凩」の「木」に代えて「百」、第3水準1−14−57]月の何かを見つけてお送りいたしましょう。予約注文でおまんじゅうは十ヶですって。でも、私はニヤリとするのよ、ブッテルブロードは、あれはうちで美味につくることが出来て、ね、そうでしょう、胡瓜のきざんだののせたのなど、ね、あんな
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