面白さというようなところでまとまれない。それは(まともさは)やさしく成長出来る筈のもので、しかし本来のそういう自然さがかけたときは一番まともにそれ(障害)につき当ってゆく種類のものですから。
ああ、でも本当にうれしいこと。
文学史の方、小林秀雄のところ、思い出される論点のつかみかたがあるでしょう? ああいうものは引用して活かすべきですが、それは出来にくかったから。引用より肉体的なわけだけれども。でも、お笑いになるでしょうね。余り私は理論的にかけないから。体あたりでばっかりやっているから。でも、生活的ではあるわ。そのことだけは確信があります。私の文芸批評がケタはずれなのは、他の人たちのようにそこに出ている作品の世界だけなでまわしていないで、ズカズカその人の作家としての人生へまで近づくからでしょう。これで、人生的深み、ゆたかさが加って来れば、やっぱり其でいい独自性がつくでしょうと思います。勉強する張り合がついて。何と気が楽になったでしょう。ああ、ああ、ああ。と頭の中がのびのびしてゆくようです。点がからくてどんな駄目が出ても、やっぱりよろこんで顎をのせてフムフムときいていそうよ。ききめが
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