す。お祝にはお話していただけお金もってゆきました。
我々がなかなか一役を演じていてね。木星社の文芸評論と『婦人公論』が、ちゃんと迫口《サコグチ》の家の机の上におかれて居ります由、何と呵々大笑的好風景でしょう!
そのおねえさんがあしたかえるという十二日の夕飯時には、お仲人である熊野夫妻が来たものだから、腰へ手拭つけて汗をふきふき台所をひきうけて、野菜サラダにキャベジまきにおつゆに何と、こしらえるというのも一つの風景です。茶の間で熊野写真屋氏がおかみさんにお前こういうものをしっちょるか、一向拵えんが、どうで、などとやっている。とにかくお仲人となると、写真とって貰うときとは全く関係がかわるから面白いところあり、又機微もあり。お母さんはお母さんで、大きい嫁は大きい嫁なりに、小さい嫁は又それなりにちょいちょいと御自慢でね。ああいう仕事するひとだから、こんなことようしまいと思っちょったらどうして上手でと、東京へ行ったとき何をたべたというようなお話で、お兄さんのお嫁さんも決して東京の奥さんたるコケン[#「コケン」に傍点]をはずかしめぬというわけです。岩本の小母さんはこま鼠で私は動かない。〔中略〕
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