下弦の宵月、花の上の朧月。昼間は咲き切って、もう散りはじめた花が白くあっちこっちに見えて冷淡のように見ているけれども、こんな晩は春らしくて面白いこと。犬の吠える声が遠くにきこえたりして。こんなしずかで、しずかさに誘われて心が動くようなのこそ春宵の風情でしょう。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で五月、俄《にわか》に樹々が新緑につつまれて夜気の中で巻葉のほぐれる戦《そよ》ぎがきこえるような夜を思い出します。空気は濃くてね。公園のアーク燈に照らされた散歩道には、人の流れが絶えなくて。いくらアーク燈があかるくても照しきれない新鮮な闇がゆたかに溢れている、そんな夜の光景。ゆうべはこのしずかさが驚きで、ほら、思わずぐっすり眠って急にさめたとき、物音が耳の中で遠くにきこえるようなことがあるでしょう? あんな風でした。そして寂しゅうございました。
 今夜は割合馴れて、しずけさの中に身をおいて、何か書くのも楽しいという工合です。
 例年、私は花時分が閉口です。今年はややましな方かしら。神経が実に疲労いたしますね、今頃は。
 きのう、あなたが、いかにも悠々して気分も悪くなさそうに笑っていらっ
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