んに云々のことも大した期待を抱かせませんね。それならそれでもかまわないようなものでもあるけれど。
 客観的に今の光井の空気、その中でスポイルされてゆく村人たちの生活を思うと、一人の娘のそういう動揺もよくわかり、娘の家の存在もよくわかる、もっと貧乏で貸すところのないものはよろこんで働きに出てゆくのだから。貸せるから(高く)働かなくなる、こうして全く別の方向に押しながされるのね。いろいろやはり深いものがあるわけです。
 来年は一仕事すませたら島田へ行ってみたいと思います、いろいろ勉強かたがた。たのしみなのだけれど、あのうるささ思うと些かうんざりね。大臣格でね、どこへお出でです、何日においでです、全く、ばかばかしいのよ。光井へ泊りにゆけば、もうちゃんと御来訪で。実に時代おくれな形です。去年は特別でしたろうけれど。
 こんな紙はもう天下どこにもなし。今にきっとタイプライタの用紙にかくでしょう。普通の手紙の紙ひどくて、こまかくかけないし、ペンがひっかかるし駄目です。タイプライター用紙はいくらかましですから。封筒も、もう丸善のああいうのやそのほかありません。日本紙の封筒をつかうかもしれません。いろいろ様子がちがって参ります。
 私はこの頃せきしているのよ。大して風邪をひいたとも思わないのに、せきになりました。いきなりせきになったの。あなたは? 呉々もお大切に。
 羽織の紐、ほんとにいいのよ。そういうものにある美しさは格別ね。男のなりで思い出しましたが、佐野繁次郎ってイヤミの標本は洋画をやるが伊東胡蝶園で俳優花柳方面の白粉屋の主人なのね、成程と感服いたしました。では明日ね。

 十二月二十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

 十二月二十五日  第八十六信
 これが今年の一番おしまいの手紙となります。きのう、ほぅとお思いになったでしょう? 現れたのが寿江子で。
 二十二日にね、『文芸』のすっかり完結して、予定の二十日より二日のびたけれど、序文、目次、年表とりそろえ『中公』が五時で終るのでフーフーかけつけて、やっと渡し、やれやれと本当に一年越しの重荷をおろしいい心持になったところ、大瀧の叔母に当る人が永く胃|癌《がん》でいたのが亡くなり、そのお通夜ということになりました。
 この大瀧潤家という叔父は不運な男で、林町の母と同じ年故今六十六でしょうが、三人の妻に病死されて居ります。一番初めの妻が、父の妹の鷹《ヨー》子という人でした。その人の子が、基とひろ子とあって、ひろ子というのは、三井のパリパリのところへ嫁いだはいいが、ひどいきらわれようをして、病気になって結婚して一年目に離婚して死去しました。基は後つぎだが、あとの細君の子が六人いて、ソーソーたるところへ、そのお菊さんというひとも死に、あとへこのお久さんという人が来てやはりこの人も没したというわけです。又何故お菊さんとかお久さんとかいう名の人ばかり貰ったのでしょうね。
 私は、今度の叔母という人とは何かのことで家内が集らなければならなかったときしか会っていないのよ。ですから病気のこともよく知らず、見舞もしなかったので、叔父に対して余りわるいからお通夜いたしました。感謝するよ、と云っていたわ。もうすっかり白髪でね、昨日葬式でしたが、もうすっかり暗くなっている墓所でそのうつむいた白髪だけがぼんやり見えて、私は大変気の毒でした。お医者としてはヤブなのよ。それが家柄の関係で、順天堂のおやかたの次で、生え抜きです。ひとから頭を下げられてばかり来ている。そのためにひろい世間を知らなくて、あととりの息子なんかのものの考えかたと正反対で、又ちがう子がどっさりというのですから、家の内はごたごたなの。
 その点も気の毒です。しかしこの点については云わばその人の責任もあるけれど。妻に三度とも病死されるというのは偶然ながらひどい不運ね。そういうわけで、きのうは朝五時の省線でかえって、十一時迄眠って、ずっと七時迄。九時におふろへ入って、けさは十二時迄眠ってしまいました。私の表でこれは何という点でしょう。丁の下?
 さて、『中公』では、あれに気を入れていてね、なるたけ早く三月ごろに出したいと云って居りました。それに大変いいことは、うけもちの人が変って、おちついたいい本を出したいと考えている人になったの。今までみたいに、そらやれと火のつくようなことを云わない人になったの。ですから長篇も書くはり合もありますし、いろいろ心持がよくてうれしいと思います。一月になったら長篇の印税をいくらかとって、四ヵ月ぐらいの間にまとめます。その間に、一冊ぐらい本が出るとすれば、まさかまるであとは一文なしにもなりますまいでしょう。
 二十八日―五日ぐらい迄にまだ五六十枚書くものがあります。それをすませ、お正月は、あの本の
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