[#「(二)」は縦中横]「水屋」、(三)[#「(三)」は縦中横]「料理人」、(四)[#「(四)」は縦中横]「合歓の花」の絵はがき)〕

 (一)[#「(一)」は縦中横]銀座の亀屋の二階にこれ迄商品がつまっていたのが空っぽになりました。あとを画廊にしました。
 窓が小さくて光線が不十分です。そこで、正夢さんの箇展がありました。久しぶりであのひとの絵を見ました。のんきな画で恐縮と云っていました。ペシコフ爺さんに似ている蒙古人でしょう? 水彩で一番気に入っているのだそうです。
 (二)[#「(二)」は縦中横]これは小さい水彩です。緑の樹の幹が前へもっと浮き出してうしろの水屋の気勢をつたえたらどんなにいいでしょう。この種のうらみ多し。生活の音響は面白いのにね。私はもしかしたらこの絵をとるかもしれません。まだ未定ですが。描写のアクセントというものは興味ありますね、北京でひどく貧乏して細君に病《わずら》われたそうです。
 (三)[#「(三)」は縦中横]なかなかつかまれていると思います。でも、こういうデッサンを、勉強する室へかけてはおけませんね。そこに何かリアリズムの問題があると思います。或は人物のテーマのつかまえかたが柔かすぎるのでしょうか、つきぬけないリアリスムを感じましょう? この表情がプラスのものか、そうでないものか、画家は十分自分でわからないまま描いている、ちがうでしょうか。
 (四)[#「(四)」は縦中横]油で一番気に入っているのはこれだそうです。うしろの赤い城壁の色が目にのこって居ります。なかなか重厚です、が、というところあり、私の好みとして。画面に空気があるということは、絵でもなかなかなのですね。しみじみそう思った。空間のリズム、音響、そういうものが絵からつたわるのは大変なのね。小説と同じね。とかく後のものが前のものにくっついたりして。

 四月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月十八日  第二十七信
 今、夜の八時半。あなたはもうぐっすりおよっていらっしゃるでしょうか。それとも疲れすぎて眠れず眼が冴えていらっしゃるかしら。
 私の夜の机の上には、買ってかえって来た白いライラックの房々とした花が柔かい青葉とともに、爽やかに奇麗です。きょうは帰りに、ああ花を買おう、と思いました。そういう気分でした。あなたにあげたい房々した花を自分の机の上にさせば、花はかすかに芳しい匂いを漂わせます。かえりに新しいいい花買う心持、これは一口に云えない私の感情の溢れた形ですね。そして、私はつくづく夕飯をたべながらも、かえりの道々も思いました、こんな心持についてはあなたにお礼を云わなけりゃいけない、と。コンプリメントのこんな表現のあるのも面白いとお思いになるでしょう? 動作であらわされるいろんな心持――特に今のようなこんな心持、それを字にするのは何とむずかしいでしょう。「御苦労さま」という一句だって動作にしてみれば何とどっさりに表現されるでしょう? ねえ。熱いタオルをしぼってあげるでしょう? 櫛を出してあげるでしょう? 横にならしてあげると思います。そして、おきらいな青茶ではない番茶をあげるでしょうし。それから、それから。ひと言もいらないわ。
 何となく私にはまだ眠っていらっしゃらない気がする。視線のゆくところにあの海棠《かいどう》の鉢がほんのり赤い花びらをもって置かれてあるように思います。
 人間の成長、成熟の美しさということを考えました。はげちょろけの格子の襦袢をパッパッとけだして、相も変らず前のよく合わないような様子で、何と面白いでしょう。そして、しかもそこにある美しさ。やつれながら充実した精神と天真な美しさ。ああ花を買おう、という気持は、そこから発して、一つのつよいメロディーに貫かれているのです。おわかりになるでしょう? 手紙をかかないではいられないところもあるだろうではありませんか。
 こんな手紙は本当にむずかしいこと。心そのままの動きで、咲き立ての花を一枝折って、笑いながらはい、と出して、それで通じるわけあいのものです。
 大変何か話したい心持ですね、話さず或はあなたを横にならしてあげたい心持ですね。
 数時間つづけて後姿や横顔や声やを眺め、ききつづけるということだけでさえ、何かちがった夜をもたらすのだと思います。こうしていると瞬きするのが自分にわかるのに、あの時間の間、いつ瞬きしたのかしらといくら考えても分らないから可笑しいわね。
 私はおでこをぐりぐりぐりと押しつけて心からする挨拶をいたします。

 四月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月十九日  第二十八信
 心持よさそうに疲れていらっしゃったこと。安心いたしました。それにきょうは雨はあがりましたが、割合よい日でしたし。
 私は灯のつい
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