私がわるいのではないのよ、余り詩が美しいのがわるいのよ、美しさに感動しそれを忘れることの出来ない人間の心が、わるいのならわるいのよ。
さて、人造バタは、のりのようということについて。全く困ったことです。どこでも手に入れにくくなりました。四月一日からタクシーが価《ね》上りになりましょうし、バスもやがて今までの三区を二区にするでしょう。汽車賃は四捨五入でなくて、二捨三入で、銅貨なしのかんじょうになりました。玉子は十ヶ八十銭のわり。そちらのパンはいかがですか。この頃東京パンの食パンもとかく品切れです。いろいろの菓子類全く減りました。小豆が一升七十銭の由、どうしてアンコがつくれるのかと思います。だからきのうも笑って、果物だけはマーガリンも屑豆も入っていまいしサッカリンもないから、これからおやつは果物にしようと云ったようなわけです。これは本当のところよ、おそばだって妙に重くて粉が変になっている、あなたに鍋やきを云いつけに行った藪重、あすこも。
あなたもバタがあがれなくなったらよく果物を召上る方がいいでしょうね。油類もいいのがなくなりました。うちでは衛生上、豚の生脂肪をとかしたのをつかいます。脱脂綿、重曹なんかもありません。眼をひやしたガーゼのきれはし、大事大事よ。きょう、手拭の端がすこしきれたの、これ木綿よ、何に使う? と大笑いでした。
ああ、電報。夕刻つきました。あした御返事いたします。
きょうは午後、髪を洗いました。久しぶりでさらさらと軽く柔く快い髪。私の指の間に梳かれた髪、ポマードをつけられたときには、きっと爽やかに洗われた髪。その髪。
私は今しきりに考えて居ります、明日どうしようかと。自分で行けるかしら、行きたいけれど、と。
四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月六日 第二十五信
きょうはうすら寒いけれども空気が快い日でした。さっき寿江子を送りがてら買物に目白の通へ出たら桜が開いている空の上に、綺麗な星のきらめいているのが大変美しゅうございました。今桜は殆ど咲きものこらず、散りもそめず、というところです。この辺は桜があちこちにあって、毎朝上り屋敷のところへ立って、いろいろな桜の色をみます、特に風情のあるものもあったりして。
国府津で青銅の花瓶にさしてソファーのよこの長テーブルに飾ってあった山桜の花、覚えていらっしゃるでしょうか。枝のつやが何とも云えず新鮮で、本当に桜の枝という心持がしたのを思い出します。上落合の家の二階から、ぼってりした八重桜がうるさく見えたのも、きっと手紙に書いたでしょうね。今年は何だか桜もこまかに目に映ります。面白いものね。去年の今頃は、花もあまり目につかなかったのかしら。
さて三十日以来の手紙となりました。三十日のお手紙二日に頂きました。これは大変順調の早さに近づきました。
多賀ちゃんもいろいろに考えているようです。そして今は女学校教師になれる検定をとりたい希望ですが、何しろ高等女学校を出ていないので、その前に一年ぐらい実科高等女学校か夜間で高等女学校の資格をもっているところに通って、そこを出てから検定をうけるなら受けなければならないというわけです。四年の最後の学年一年やるわけですが、それへの編入試験をうけるには、英語や国語やその他の勉強がいるので、先ずさしあたり国語を、友達で専門学校の国文科出の女のひとについてやることになり、次の月曜から通いはじめます。
多賀ちゃんもいろいろ迷うでしょう。二十六七にでもなると、資格があってのことなら一向かまわないが、何もなしでそれは困るという工合。田舎では出来のいい子として通っていたし、自分でもそう思っているし、自分の力を一杯にやってみるのもよいでしょう。
女の子というもの、そして何かはっきりしたものをつかんでいない子、しかも何か心にもっている子、というものは日本ではなかなか困難しますね。そのことについては同情いたします。
『現代』の高見順の文章よみませんでした。でも、丹羽文雄にしたって誰だって、全く云われている通りよ。その点で本当に新しい人は殆どないでしょう。そこに彼等の現代性が寧ろあるのではないでしょうか。云うところの現代性というものは、そのとなりに何を持っているか、隣りとの間にどんな思想の廊下をもっているかと考えれば、合点がゆくし――。文芸のつづきの仕事のなかで、丁度そのこと考えていたところでした。
×や△というような作家たち(婦人の)は、進歩しようとする意欲に立った文学の動きに、はっきり自分を対立させて出た人たちです。男心の慣習に描き出された女心をポーズとした人たちです。それなら何故横光や小林のようにその文芸理論をふりかざしてたたかわないかということ、ね。これは大変面白いところです。ジョルジ・サンドやマダム・ド・
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