す、珍聞でしょう? 余り天然痘が出ているから。そして市内の各方面からのひとの中に一定時間大体毎日いることになりますから。古い古いことです、右の腕にホーソーのついたあとのあるのは。円いのも、またま白玉でどうやらしのげるのに円い菊目石というようなものになったら、余り相すみませんものね。天然痘が銭湯に入ったりいろいろの芸当をやっているのをよんだら、こわくなって来ました。不思議な春ね。
そんな有様だのに、林町のああちゃんは、小さい息子が風邪ひきで国府津へ行かれないからその代りと云って、湿布している息子を銀座へつれて行って、フジアイスでアイスクリームのましたときいて、あっこおばちゃん大憤激です。
本当に手紙書こうと思っているのです。風邪というものを何と思っているのでしょうと。あなたにぶーぶー申して、お笑いになるでしょう、私は、でも太郎が可愛いの。そして、そういう愛されかたを可哀そうに思うの。そういう愛しかたをするああちゃんも可哀そうなの。そして、腹がたつのです。それを、こうしてここにかく心持。それは女房の心理、ね。こういうブーブーを、あなたはごくたまにしかおききにならないのですから、まあおきき下さい。
こうして話していながら、ああ今夜は誰も来ませんように、と心ひそかに願って居ます。今夜と明日とで、こまかいいくつかのものを仕上げてしまいたいから。
それをすましたら栄さんとやっていたものを終って、『文芸』のつづき何回分か終りまでずっとつづけてかいてしまって、さて、と長篇にとりかかる順序です。
稲ちゃんの「素足の娘」(書下し長篇)よみはじめています。何だか、作者が抑制して書いているのと、若い十五六歳の娘を自然思い出として書いているところともあり、今までのところではブリリアントなものが少い、少くとも「くれない」より光彩がないような印象ですが、どうかしら終りまで行くと。楽しみにしてよんで居ります。
これから自分が書こうというものについても連関していろいろ感じます。「くれない」は毎月連載されて出来たもの、これはずっと宿やでかかれたもの。そういうものについての感想もひき出されるし。
書く必然がわからなくて、というような手紙の文句があったことを思い出したり。長篇というものはなかなかのものですね、随分しっかりした骨格がいる。石川達三のような、昨今の請負人みたいに代用品ドシドシつかってこんどはアパート、こんどは工場、これはいかがと小住宅もつくるというのもあるし。
石川の「結婚の生態」という小説はひろくよまれるのです、そして参考になりました、というようなことが、若い娘の口から座談会に出ている。可哀そうねえ。娘さんの生活内容も。より若き世代ということはより貧しき世代であってはなりません。
『文芸』の仕事、栄さんとの仕事の必要から、その生態なるものも、解剖しなければならず。買うのが腹立たしいような本というものがあるのは奇妙至極なことね。私は寿江子のをまわさせました。
いろんな妙てこりんなものをよまねばならず。これも修業の一つかしら。私のこの頃の読書の範囲を考えて、何ていろいろと思いました。どんな知識も有益です。大衆文学性を打破するための本当の知識などは、大いに私を愉快にしますし、自分の常識のあいまいさをも痛感します。常識の誤りに逆手をとられるというようなのは真平ね。御同感でしょう? そして、私は私らしくクスリとするの、私の読書力は、何とリアリスティックだろうと。(云いかえれば、そうね、はっきりしているだろうか、と)分りたいと思うと、分りそうもないものも分るのですもの。何と可笑しいでしょう。私の語学のように、これも気合の一種でしょうか。
ああそれから、私はいつかアイヌのことについて、手紙の中にかきましたろうか。十九か二十のとき北海道へ長くいて、アイヌ村に暮したりして、アイヌをかきたいと思って勉強したこと、まだ私には荷にあまっていた(かんどころは今も同一ですが、分析や展開が)ので、一章だけロマンティックにかき出して、旅行のためそれなりになってしまっていたのを、この間ふと思い出して、これからならかけると面白く思ったこと、まだ書きませんでしたろうか? 長篇のこといろいろ考えていてそれを考えたのです。いつか長いものに書こうとたのしみです。非常にいろいろ面白いのです。一人の女のひと(アイヌのひと)が中心でね。ロンドンのことや何かまで出るのです。その女のひとの見た世界として。ヴィクトーリア式女のイギリスを、このアイヌの娘が見て、いろいろの感じ、いろいろの受けかた、その適応の型、いろいろ大変面白いのです。溢れるような曠野の血が一方に流れて居り、一方に無限の悲哀があり、最も消極な形でのスケールの大さをもっている女の一の心です。
それからもう一つ、お座りのとき
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