というだけでも人間の重みが加りました。生活のモラルのなかで、責任という感覚は大抵、一家の範囲を出ないのが多いから。(一家の父、一家の主等々。日常的世帯的)勿論、あり得る最大限のひろさでそれが感じられているのではないけれども。皆が価値評価に対する従来のめやすを揺られるところは大変面白い。歴史の中ではっきりしためあてがあって経過されてゆく事情、条件というすじが通っていないから、現象的にああだのにこう、こうだのに一方にはああ、と並べて、変な空漠を感じている。これは面白いことね。
 やっぱりそうだけれども、紀さんが、歴史というものに大変興味をもってかえったのは面白いと思います。現在につくられつつある歴史という感じまで来て。緑郎は、もう送金が出来ないからかえるしかないでしょう。達ちゃんたちのことを、紀さんがかえったのでしきりに思います。干魚《ひもの》が大変便利でうまいそうですから送ってやります。ではこれで。益※[#二の字点、1−2−22]お大切に。

 二月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月九日  第十三信
 うちの時計が十三分ばかり進んでいるらしいけれども、午後の四時すこしすぎ。
 きょうは西の方に真白い富士がよく見えました。とけのこった雪が家々の北側の屋根瓦や軒に僅ずつのこっていて、そこをわたって来る風はつめたいけれども日光は暖い、いかにも早春のような日和です。二月を如月《きさらぎ》というのは面白いことね。夕刻風にふきはらわれて暗くなりながら青くエナメルのように寂しく透明になる空の色を見て、なにか如月という感じがわかるようです。すこし今つかれて。話ししたくなって。
 まあ、この炭何と匂うのでしょう、匂うというときれいだが、ガスを出すのでしょう、胸苦しい。ガラス戸をあけ放しにして。
 さて、御機嫌はいかがでしょう。ずっと平調でしょうか。七日にかいた手紙で、いろいろ健康に危険な空気のことおわかりになったかしら。御心配下さるといけないと思って。私はいいあんばいに変調なくて居ります。神経の緊張もいくらかおさまりました。
 八日はね、大した先約で出かけました、というのはお久さんのところへ。蒲田のアパートに居ります。八日が誕生日なのですって。是非来てくれと、正月に来たとき云っていたので、約束していたので多賀ちゃんをつれて出かけました。六畳のアパートで、それでも窓
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