ぐコップに雪を入れサトーを入れたべました。「どうじゃろ東京の雪は、大味かしら」と云ったには笑いました。そうかもしれないわ。水気の多い春の雪ですから。
雪が私の髪や肩やショールにかかる。その雪は、家を出るときよんで来た詩のこころと通じるところがあって、私は傘で雪をよけるよりは、雪よ、雪よと顔もさし出すような心持です。頬っぺただの、額だの、唇だの。雪がふりかかります。真直に躊躇なく降りかかるの。雪の片々に心をもたせかけて歩きます。そんな雪の夜の道。早春の雪ね。
なるべく手紙をたくさんかいて、と云って下さり、本当にありがとう。うれしいと思います。勿論それも、体の無理なく、ということの範囲で、ね。申すまでもないことですが。この頃、妙なわるい風邪が流行しています。雪が降ってへるということがないらしいの。用心いくらしていても、何ともかかるのはさいなんのようなところがあるので、この間うちから、もし、ユリが又病気になってしまって、動けなくなったらと思い、ずっとお目にかからないでいることが大変切なく思われました。理研レバーでもふせぎきれませんから。送って下すった衣類というのは袷類でしょうか。そうならいいけれど、もし別のでしたら袷、きもの、羽織送って下さい。ちゃんとしておきたいから。いろいろと心せわしいようなところもあります。
今年は創作の実のり多い年となりそうというよろこびが、このお手紙にもかかれています。私はどんなにそれを願っているでしょう、どんなにか。病気になんかかかりたくない心持分って下さるでしょう? かかってしまえば最善をつくすだけですが。せめて今年は本当に無病息災でと思います。
つるさんの本。いろいろそうです。石坂の「若い人」の評ね、あんなのは、あのひとの弱点に立ってかかれているのです、当時の心理として。あの文章のよって立っている心理のありようについては、あの当時その原因をいねちゃんも私ももとより知る前だったから、何だか変だと二人で不賛意を表現したのでした。そういうこともやはり微妙にうつっています。けれどもあれが精一杯よ。キリキリよ。力量(箇人の)のことでは勿論多く云えますが、その枠の形の大きさでは一杯よ。
あれで、余り骨を折ったから、はやりかぜにかかるだろうと云っているほどですもの、あたりで。空気のわるさは旱天と云うとこんなかというばかりですものね。
二月六日
前へ
次へ
全295ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング