ラスとでもいうような本質であるから。たとえば作品の現実では各人の各様の持味の肯定になって、石坂だの岡本だのという怪花をひらいたのだ、と。さもなければ、舟橋のように人情に堕した、と。あの部分は、これから後五年ぐらいとまとめて本にするとき、書き直されるべきですね。
 こんどこの本がまとまったことと、「朝の風」をかいたことは私にとって実に意義あることでした。本のまとまった意義は、こんな手紙もいただけるモメントとなったという意味で。「朝の風」は、私の感情の切ない底をついているという意味で。
 いろいろのこまかい、しかも実質的なこと、少なからず得て居ります。この二つの仕事から、自分として自分を分析する新しいモメントをとらえたような気もいたします。私の小説と評論とはきわめて興味ある関係なのですもの。評論でそのような仕事もしてゆく、その心の根の思いというようなところを「広場」にしろ「おもかげ」にしろかいていて、「朝の風」は叫んでいる口は見えるが声は消されたような姿をも示していて。その意味で「朝の風」は底をついたのよ。一つの大きい心理的な飛躍が準備されたと感じます。短篇集をまとめてよんだら、そのことを自分に一層はっきり知ることが出来ると思います。たとえば、これまでの作品では題材とテーマが、いつも二つのものをふくんでいるの。「広場」系のもの、それから「乳房」「三月の第四日曜」その他。主観的素材、客観的素材。それがちゃんぽんにあらわれました。「海流」がもし完成されたら、そこの中で、評論で私が統一しているような統一された自他があらわされ、身につけられたのでしょうが、それが中絶したために、そういう時代の気流のために、一方は「朝の風」で底をついたわけです。この関係は本当に微妙よ。こんなかきかたでわかって頂けるかしら。短篇集には、はっきり私の苦しみが映っていると信じます。私[#「私」に傍点]の苦しみが映っていて、その私[#「私」に傍点]の苦しみが時代のものであるということがどの位語られているか。個性の道があらわれていると思うの。
 この次の長いものでは、それを統一してゆくことが会得されたようです。それは一つのよろこびよ。そして、ここまでに示されている永い期間の困難というものは、私の過去の文学の伝統だの、性格だのが原因となっていると思います。私は私小説から発生して居りますからね。人道主義的なもの
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