教養というものの欠乏についても感じたし。科学精神が陶冶されていなくて医者がどんなにつくり出されつつあるかということ、ポスターやらその他の趣味でまざまざと語られて居りました。
細菌のところで検[#「検」に「ママ」の注記]微鏡の下にあらわれた細菌は、まるでタンポポのわた毛がとんだあとの短く細いしんのようなものね。[#図5、手書き縦線5本]こんなものね。大きさも(鏡の下での)この紫色に染め出された[#図6、手書き縦線4本]が、あんなに活躍するとは何と妙でしょう。人間生活、日本生活のなかにこんなにビマンしているとはどうでしょう。そして、日本には百人の病人に対して二十のベッドしかなく、ナチは 123 で 23 の余分をもって居り、アメリカは 128 か 135 か、でそれだけの余分があるのです。余分、よ。感ずるところないわけには参りませんでした。それからいろいろの標本についての説明を佐藤さんからきき、得るところあります。そして、一昨年私が熱を出したときあなたのおっしゃった注意、早期の発見と治療しか道のないこともわかりました。だって、おくれてからの手当なんて非常にまだまだ対症的ですもの、根本的でないのですものね。ああいう風に少しどうかという健康状態のとき、あとの一年というときの生活法で、どっちにもなるものであることがよくわかりました。この部では質問が多いそうです。どことなく自分に懸念のあるひとが、いろいろ素人らしいききかたできくのですって。たとえば、「どの位のを結核というのですか」とか(町のお医者は「肺尖ですよ」といいますでしょう、だからね)「どの位なおったら働いていいのでしょうか」とか、それは答えるのにむずかしいのですって。個々の極めて詳細の状況を知らなくてはならないから。
血液検査をしたり、血液の型を調べたりしていました。私は自分の型を知らなかったので見て貰いましたらAでした。そのA、B、Oのわけかたに、性格の説明がついていたりしてね。これは一見科学的な非科学性です。座興ならいいでしょうが。人間の性格は決して血の型だけでつくされてはいないから。性格学の非科学性と同じね、形式分類科学ね。あなたは何型でしょう、御存じ? 同じ型? 私の血をあげることが出来るのでしょうか。寿江もA、国男はOですって。父はBであったそうです。OはAにもBにもつかえるのね。
私がかえってから多賀
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