注8]をよんでいろいろ感じていたところであったので、このお手紙に「『敗北』の文学」について書かれていること様々に感想をそそります。あすこにあるいくつかの作品はずーっと前にもよんだのでした。そして、そのときとしての感じをうけたのでしたが、今はあれをみると歴史的に人間の成長というものが感じられ、おどろきます。一九二七年と云えば「『敗北』の文学」の前年でしょう? あの作品のもっている様々の特徴は、やはり非常にその人のものね。もとよんだときには、よむ心の主観的な感動と愛着とを先に立てて居りましたが、今はもっとちゃんと稟質としてそこにあるもの、そこから成育して来たものをくみとることが出来て、感じることも一層深うございました。何というつよく迅い成長でしたろう。音がきこえるようね。そして、そのつよい迅い成熟の過程であれらの作品にこもっている確《しっか》りした密度の高さ、やさしさ、感受性はちっとも粗大にされていないで、その押しでのびて来ている。このところもいろいろと私には興味あるところです。「三等室より」[自注9]は、もと私の感じとれなかったような、様々の内容をふくんでいて、そのテーマの語りかたそのものにあらわれている精神史の意味で大変感銘されます。あれは二回つづけたきりですね。「古風な反逆者」[自注10]という作品からも作者の人生の現実に対する態度がよくわかります。第一巻の「狂人たち」[自注11]はあの象徴がちょっとよくつかめません。ただあの中に科白として云われている女についての感想は、その作者の年齢や何かとてらし合わせてうなずけますけれど。「陽」[自注12]という筆者への展開も面白いことね。少年の陽、自動車を見てはやさ、つよさに胸をとどろかす幼い陽から、ああいう青年の陽への成長を、私は作家として刺戟を感じます。書きたいと思います。これは本当に思っているの。
「たのしみながら、だが眼玉はぎろりとして」という様子、実にまざまざ。ブックレビューのこと。若い心であるからこそ、という点。それは真実だと思います。そして、云ってみれば、そう思うからこそ、割にあわない努力をもつくして書いてゆこうとしているわけですから、一層ここに云われている点は重要ね。
 自然科学についてのこと、お笑いになったのねえ。一笑したとかかれている、その表情が見え、おかしく、きまりわるい。〔中略〕
『白堊紀』のものをよ
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