いますが、いつもそうばかりもして居られず。
読書案内のこと、はっきりそう思います。例えば「古代社会」だけで、発展が示されなければ、河出のあの結婚や何かを法律上しらべた叢書をあてがったって本質は何も知り得ないのですから。婦人伝についても、この頃多く出るのは回顧風のものね。その点婦人作家論はちがうつもりです。記録のこと、しらべました。
これからすこし明朝渡すものかきますから、又ね。
八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月一日 第五十三信 これで順でしょう?
妙にこんぐらかりましたから先ず、土曜日のことから。土曜日は多賀子が立った日で、朝そちらへゆき、私は夜東京駅まで送ってやりました。家を出るときは気がつかなかったけれども、往来を歩いたら頭がクラクラして足が浮いて千鳥足の気分だものだからびっくりして、送るとすぐ家へかえりました。
日曜日は、それでもどうしても読まなければならないものがあって、昼間じゅうそれにかかっていて、夕飯後すこし書いて早ね。月曜日にそちらへゆき、少々ピンチと云っていたのはそのことです。今まで、体がつかれて苦しい気のしたことは始終ですが、こんどみたいに、体はしゃんとしているのに頭だけ妙になってものもはっきり見えないようだし、目まいがしてあぶないようなのは初めてなので気にしていたわけです。でも、月曜日は午後の六時半から明舟町の新協劇団へ前から話にゆく約束があって、人があつまっているのにことわれないから、早く夕飯たべて出かけようとしていたところへ、てっちゃんが就職がきまったと云ってよってね、そちらへゆきたいが、では明日は私はゆかないからというようなことで、私がめの舞う話もしたわけです。二三日ひとの来ない家のことの考えないでもいいところで、フーフー眠りたいというようなことから国府津へ林町の連中がいるので、行こうかしら。行きたいけれど、やっぱりなかなか思い切って行けない、宮本が行って来いと云ってくれると行けるようなもんだけれど、など話したわけです。じゃあした話しましょう、そうね。こんな工合で、すぐ出かけて、私は虎ノ門へ出かけ十時半ごろ帰宅したわけです。
一時間も落付いていず、私は出かける前でバタバタして別にそんなことを、話して貰うというはっきりした依頼なんかするわけもないし、半分笑い話のようにしていたのでした。私がはっきり、
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