から一つの例外ですけれど。でも、夏寒かしら。私にはどうしてもあの線の表情が見なれたものなのだけれど。独特なのよ、御存じ? 非常に一種のトーンがあって、それは、あなたが何か一寸み[#「み」に傍点]を入れてものを仰云るとき、背骨をごく表情的にお動しになる、あの感覚がいつも線に出ている、それなのだけれど。まあ、いいわ。私はこの夏寒むは未解決のままでいいの。なかなかそこにいいところがあって。
麻の手拭は、木綿よりアセモをなくします。くびのところにアセモが出来ていらっしゃるように思いましたが見ちがいでしょうか。枕につくところムンムンすることねえ。何かいい工夫はないものかしら。しきりに考えているのですけれど。座布団なんかは駄目ね。むしろかたいものを何かでくるんで、頸のところをすかすようにした方が、いくらかましかもしれません。水枕なんて夢物語の一つでしょうねえ。
美術刺繍の花弁の形、なかなかいいでしょう? やっぱり夏寒む的でしょう。
ああ、それからこの間のシャボンはアセモのこと考えてホーサン石ケンです。いくらか、普通の石ケンよりはましでしょう、あれがなくなった頃又お送りします。夏はああいうのの方が刺激がすくなくて且つ皮膚のためにようございますから。
本の(河出)題のこと、いろいろありがとう。私はこういう風に、あなたがいろいろと考えたり相談にのって下すったりするの、大変にうれしゅうございます。季節感のことは、本当ね。よほど何かそれ自身含蓄のあるものでないと、やはり季節の感覚だけ浮きますから。
私はいろいろと考えて、一種微苦笑を洩しています。本屋が、ガサゴソいろんな妙なものでひとわたり儲けて、さて、すこしと気が落付いて、私のものなんか出すという気になる。すると、そこには又別の条件が生じているというような塩梅で。どうもなかなか活現実ですから。
『書斎』のこと承知いたしました。
作家の生涯が、時代、環境、家庭、資質様々の綜合ということ。何と痛切に実感するでしょう。きょうも『朝日』の学芸で、杉山平助が書いていて、山本有三が『主婦之友』とかにかいていた「路傍の石」をかきつづけられなくなったということを、作家が事実を通過して描けなくなった今日の現実を遺憾とする意味でかいていました。有三でさえという意味で。人間の心の成長、時代のうごきの必然には、明暗があるのが当然であって、そこを通過
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