念のために一言。
 隆二さんから稲ちゃんのこと心配した手紙が来ました。この頃どんなに仕事しているかと。わきから励してやれと。なかなかむずかしいことであるし、むずかしいものね。友人が「この頃はこういうものをかくようになったこと感慨無量です」と云ってよこした由。「素足の娘」のことでしょう。これについてはいろいろ考えますけれど、隆二さんのいうようなわけにもゆきません。作家の生涯の道は全くこわいジグザグね。その間に或る方向の一貫性をもって、いくらかでも目ざす方へ動いていればよし、としなければならないようなところもあり。「心の河」なんかよみかえし沁々とそう思います。
 そして、この一貫性は、きょうのお手紙に云われているとおり、作家としての内的な必然性に忠実であるより外にはないのだから、大したものです。
 これで、図書館一寸やめ。写す人をさがしてそれにたのみ、自分は当分家で書きます。そしてね、あなたはもしかしたら、いつでも午後二時すぎにしかこの丸いものを御覧になれなくなるかもしれません。うちは午後大したあつさなの、二階が。午後は全く頭がゆだります。ですから午前に一日分の仕事したいのです。そして、ひるをたべて、そちらへ行って、かえって、夕飯前一休みして、夜又いくらか生気を戻す。そういう時間割にしたいと考えて居ります。勝手ですけれど。一番暑いときでなく[#「なく」に「ママ」の注記]て御免なさい。一番でも十時でなければかえれず、落付くのは午後となって、それではどうも工合わるうございますから。
 さア、きょうは、あつくて、くたびれて、脚がはれているけれど、心の中でたのしい心持のふき井戸の溢れる音をききながらいそいそとして家へかえります。朝の眼のなかによろこびがあるという、リフレインのついた小さなうたがきこえています。あの眼のなかに生きているよろこび、よろこびの可愛さ。あこがれのいとしさ。いとしいあこがれも信頼の籠に盛られれば、それは朝々にもぎたての果物のよう。そういうソネットを、ゲーテが書いたって? うそでしょう。そんな痛みのように新鮮な献身へのあこがれを、ゲーテが知るものですか。天才の半面の俗物という批評を、そういう詩趣を解さなかった生活に帰し得るのですもの。
 刺繍の模様は一輪の花でした。[#図4、花の絵]こんな花弁の。一つの花の花びらですから、どの一|片《ひら》もむしることは出来
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