からの手紙これがおしまいよ、きっと島田へかえると又バタバタですから。ではお元気で。
六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十一日 島田第四信
寿江子から手紙で、お元気らしいというから安心いたしました。森長さんの方へ届けた書類のことも運びました由。単衣のことわからなくて又セルを入れたそうです。御免なさい。もう二日の辛棒よ。
習俗というものは実に妙ですね。たとえば男のひとで一人前の活動をしている者なら、法事や婚礼の式がすめばその夜でも立ってゆくことに誰も不思議を感じません。ところが女だと、それ以上に忙しくても、すぐその式の後、立ってかえるなどということは、何か其事に不満でも持っているのかという風に考えて、忙しさとして決してうけとれないのね。実にこれは習俗の力だと思います。てんで忙しいということの実感がないんだもの。だから口実と思う。何て可笑しく又困ったことでしょう。
私はきのう午後野原からかえりました。お母さん、達ちゃんが二年出征していたのに野原は只一度も慰問袋を送らなかったというお話でした、忘れかねておっしゃるお気持よくわかります、そういう場合のことですからね、何しろ。私たちが野原にいろんなことをしてやったって何にも心にこたえてはいないと仰云います、そうらしいところを今度も感じましたが、多賀子にしろ一人で身を立てることが出来る条件だけをつけてやればそれから後は自分の心がけ次第ですから、それでいいと思うの。島田の手つだいをさせられて云々というようなことがいつ迄もあってはいけませんものね。私はそこまでしたらもういいと思っている次第です。野原は或意味で心の持ちかたで底なしよ。その点、実によくない習慣です。気持にちっともしゃんとした自前のところがなくて、外の力を何とかつかうこと、それによって動くことしか考えていず、それは善意の場合でも依頼心のつよさとなって今度のように現れ、さもないときは利用するということになるのです。そういうことについて一家のカンが欠けている。お家の風のようになっている。だから頭の早い動き、というのもその間のことをクルクルと思い当るという程度になってしまってね。冨美子がましな娘であったらば、と思います。いずれにせよ、この二つの家の激しくいがみ合いつつ切れもせずというくされ縁に対して私は絶対中立ですが。
多賀子を来年
前へ
次へ
全295ページ中123ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング