年忌も一緒でしたのね。光井のお寺の、顎を上へつきあげたような顔をしている坊さんが、小坊主をつれて来てお経をよみました。この坊さんはこの間気がふれたのですって。畑で蛇をつかまえてそこにいるお百姓に、これを食えと云ったが、どうもそういうものはと辞退したら、そんなら俺が食うと云ってくってしまったのだって。光井の家へ来てどなって叫んだそうです(何と叫んだかは知らず)。その人がケロリとして(癒ったのですって)お経をあげました。
 それからおきまりのお膳が出ました、ああいうときのお膳の上のもの覚えていらっしゃる? 黒塗のお平《ひら》にパンが入っていたりいろいろ面白い。私もお客様というので、そこへ坐って頂きました。
 それからお墓詣り。それから光井の寺詣り。これは達ちゃんと私とが総代でやりました。
 三年回でしたから、私たちからのお供えとして、丸帯の立派なのをこわして仏壇の「打《うち》しき」をこしらえてもって行きました。お気に入った様子です。光井へゆく途中はまるで昔日の俤《おもかげ》なしとなりました。あの島田市までの途中も家が建ち、道普しんしているけれど、島田市から野原迄と云ったら全く全貌をあらためる、という言葉どおりです。工廠の門へ一直線になる十二間道路が今までの道の左へ山を切りひらいてずっとお寺の下まで通って、うちの裏山はすっかり赤い土肌を見せ、そこにクラブと官舎の建物が立ちました。トロッコ土掘り、トロの線路の踏切番、女がどっさり働いています。三つの池がひっそりと並んでいた山路のところね、あすこは山の頂に貯水場をつくるのだそうで、池はどこかへ消えてしまって、人夫がその辺蟻のように見えています。まだ形もきまらず、あっちこっちほりかえされ土肌をむき出し、荒々しい眺めです。しかし野原の一本町[#「町」に「ママ」の注記]のはずれからこっちは、やはり大した変化もなしです、まだ。しかし、この一本道の両側だけ昔からの家々がのこされて、ぐるりはすっかりこの工場の附属物でかこまれるわけです。
 魚なんか三倍ぐらい高騰していて殆ど東京なみです。もとは一匹ずつ売っていたでしょう? それが切身だって。その代り夕方でも魚が手に入るようになりました。
 四日はそれで一日バタバタで、五日は次の日の準備のために私はいろいろの包ものに字をかいたり例によって書記。
 五日は晴天で助りました。三時にお母さん、達ち
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