聴するのも本当だし、ケロリとするのも本当なの。女房は天下一品と云うのはうそではないのです。しかし、というのもうそではないの。ですから困ってしまう。十七八の頃からそういう二面性はつづいているのです。それにこの頃のあのひとの心には、自分の家庭はうちのこと、という感じだから、そんなに姉さんに世話をやいてもらわずといい。それより世話やかせないでくれればいい、というようなところでね。だって、あのひとは、父の遺族という名を何かにかかなければならなかったとき自分、おかみさん、太郎だけ三人かいて、寿や私は抹殺した感情ですから。これは何だか私に忘られない感じでのこって居ります。全般から来ているのです。何とも云えない強情さと妙な感情のつよさもあるから、私はまあ、こじらさないようにつきあってゆきます。勿論余りのことがあればしゃんと申しますが。性癖というものは、よくよくその人に理想とするところがなければ、それなりに年とともに一つのリリシス迄加重されてゆくのね。あのひとの頭は実に綿密なの。そして極めて計画的なの。ひどくそのいみではいい頭です。ドストイェフスキーの人物めいています、子供のとき、二階から女中さんにおとされて小児麻痺をやって、そんなことも何だか機能的に性格に作用していると思われて、それは可哀そうです。全体はおどろくべき強壮ですが、いろいろの人の内部のくみ立てね。頭がいいと云えば、なみはずれていいところもあるのに。
写真帖のこと、私にも楽しみです、北海の砂丘、本当に見事でした。紀(太原にいてかえったの)がなかなか写真上手で、まだきれいごとですが、なかなかセンスのある作品を作って面白うございます。あっちでいい写真キを買いましたって。かえってから紀が国府津へ行ってね、あの門から入った通路のところや、庭の芝生と杉のところやなかなかいい風景をとったから、私がポストカードにやきつけて貰おうとしたら、今大抵の写真やでポストカード台紙は品切れなのですって。自分がもともっていたのがどこかにあったから、さがしてやいてあげようというようなこと云って居りました。私は紀の写真をしげしげ見て、創作の面白さがわかって、写真展なんかも見たいと思ったりして居りました。紀は結婚する対手のひとが、結婚したら今のようにつとめているのがいやと云うので閉口しています、僅しか月給とらないから、本当はともかせぎの必要があるの。
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