しゃるのを見たら何だか頭が楽になって。きっと、それがきいたのね。この頃うち、頭が苦しくてね、袂の下へつっこみたくて仕方がなかった。
きょうはましですから、もう大丈夫でしょう。この数日間は、おそろしい能率低下ぶりでした。(手帖見たら、でも二三日です)そんなような顔して居りましたろう? 尤も私はいつも丸きおユリで不景気ぶりを表明しないのかもしれないけれど。
マア多賀ちゃんの療治のこともきまって、あとは、ずっとそのお医者の忠告にしたがってやって行けばよいから一安心です。費用は今はとりません。あとで相当のことをしなければならないのですが。
そのお医者はね、親切な人なの。津軽弁でね。ところが全く滑稽なことには、石坂洋次郎と大変よく似ている人なのです。石坂とはこの間座談会で一緒になって、その津軽べんもきいたし、顔も見たし撫で肩で小さい姿も見たし、満喫なので、白い上っぱりを着た人が、まるで似ていたら何だかこたえてしまって。可笑しいでしょう? でも作家は少くとも津軽産は一種の共通性をもっています。石坂、平田小六、深田久彌、太宰治、顔がつるんとしたようで撫で肩かどうかしらないけれども、現実に主観のこってりとした隈《くま》をつけて、一種の執拗さ、エロティシスム、ニヒリスム、あくどさ皆ある。深田が一番都会化して、それらを知的なものにしようとして中途半端ですが。そして狡さもある、芸術家として。薄情かと云えばそうだとは云えず。やっかいなものです。平田は、北京で頭一つ叩かれては五円借りて歩いている由。この平田がナウカのあった頃かいた「囚われた大地」という小説を、房雄はトルストイの作品に匹敵するとほめました。木星社に居た人。ですから私は評論集のときから知っていたから、「あなたもわるい時世に生れて、あんな小説をトルストイの云々ともち上げられる大不幸にめぐり合うのだから、しっかりしなさい」と云ったことがありました。
お医者様は、作家ではないし、又、種類もちがう人ですから(人となりが)私は撫で肩男一般への自分の好みを超越いたします。
ホグベンの『百万人の数学』は大変いい本だそうです。そしたらきょう同じ著者が『飢餓と疾病の撲滅』というような題の本をかいているのを見て(ホンヤク、出版)非常に感動しました。阿知の知性を又いうが、知性とか人間性とかは、こういう真向きの暖いものもある筈です。ねえ、数学
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