いきさつがじっくりとわが胸に見られていなくて、現実に前の方の目だけでぶつかっている、そのためにあるよさはあるとして、足りないものがある、芸術品としては。つまりあの一篇の中に「忘られない或もの」というものがあるでしょうか。それだけ突こみ、迫り、描き出したところがあるでしょうか。ここが面白い。作品にそういう奥ゆきが出るということ、味のあるということ、それはとりも直さずその作家が自身の心にもっている複雑性の把握の厚みの反映ですから。
この点については現代文学史的な含蓄があるのです、私一ヶのことではなく。沈潜を、正当な発育の方向に向ってやって行かず、(外部の歪ませる条件と自分の内の歪むまいとする希望、にもかかわらず歪みに吸いよせられる条件として|ある《存》もの等をきつく見較べてゆかず)所謂おらく[#「おらく」に傍点]に自分の上に腰をおろしてしまって、元来は文化の歴史のマイナスの面がむすびついて一見文筆的才能と現れているようなところへ沈潜[#「沈潜」に傍点]して行きつつある顕著な実例がある。音を立てず、而もそうやって水平線が岐《わか》れつつある。深刻なものです。「雑沓」が旅立以来無銭旅行的テム
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