画がいくつかつくられ、水準も高くなったと云われて居ります。伊藤永之介の「鶯」「若い人」「子供の四季」「風の中の子供」「冬の宿」その他。そして今や直さんの「はたらく一家」「あらがね」。文芸映画がどんどんつくられてゆくことには、映画の内的世界の貧弱さから作品を文芸に求めるということに映画としての問題があり、文学の方から云うと、鑑賞のちゃんとした規準がないために、作品そのものが不具なりに適応している。映画がそれをそのままもっと表面的な気分で描いてひろげるから、生活的な影響が益※[#二の字点、1−2−22]わけのわからないものになってゆく。そういう相互的な関係を生じて居ります。シナリオ・ライタアが真面目に求めようと欲しているところは察しられますが、自身独立にシナリオとして生み出す力がかけている。そのことも文学との関係も、実に歴史的な相貌と云うべきです。
 明日は十二日。あさっての朝は出かけてこのペンをお見せし、さすがのあなたもへるほどにお祝をねだるつもりで、大いにたのしみです。
 十三日にお気がつくかしら。私は髪のかきかたをすこしばかり変えたのですが。あんまりキューとひきつめていていやなので、
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