ス。奥の棚の上の青い葉は、琉球の「虎の尾」、うしろの絵は『冬を越す蕾』の扉絵です。
 右手のガラス障子の上の欄間には光子さんの描いたレンブラント風の色調の女の肖像がかかっていて、茶ダンスのこっちは、やっぱりおなじみのタンス。上に小さい鏡(譜面台を直したの、動坂頃もあった)くしなど。これでも随分「見たような」感じが増しますね。我々の生活の插画の第四図と申すところ。

 二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月二日  第十一信
 この三四日は余り風もなくておだやかな日和つづきですね。外がいい心持です。それに夜の美しいこと! ゆうべ栄さんの小説をよみ終って、栄さんを送って門のところへ出たら十時ごろで、月と星とが一点の雲のない空に燦いていて、天の飾りという感じでした。この辺は住宅地でネオンの光や何かで夜空が濁らされていないから、夜空は澄んで居ります。そこからこういう星や月御覧でしょうか。
 やっと言葉をつづけるような瞬間。顔にさしよせられる花束はつよい芳しさと魅する力とをもって何と喰われてしまいたい刹那でしょう。
 きのうは、西巣鴨一の三〇四六というところへ貸家を見に出かけました。辻町のところに広告が出ていて、同番地に、二階6、下8、4.5、6、2という家と、六、三という小さい家とがあるらしいので、小さい方へ寿江をつめこめばうるさくなくていいとも考えて出かけたら、どうかしてそこがなかなかわからないで別の家を二つ見てかえってしまいました。番地が大変とんで、ごたごたして居るのですね。そして、その附近はそこに近いが却って不便で、他との交通の工合もわるい。近いくせに、いざというとき自動車がひろえないからここからのようにいそいで十分で馳けつけるという芸当が出来ず。
 大塚の方へ家が出来るかもしれないというのは秋からのことです。只今のところ、寿江子は五日か六日に熱川へ又行って暮し、五月ごろ私が御一周忌で島田へ行く間、出て来て留守番をし、又あっちへかえって九月に出て来て、それからすっかりこちらに落付くつもりの由です。いろいろのいきさつもあったしするから、実際的な仕事の修業をやるのもいいと思いますが、やっぱりしんから好きであるし、女で作曲をちゃんとやれる人というのも出ていないし、大決心でやるつもりらしいのを見ると私もやっぱりたすけてやりとうございます。寿江子はああいう性質だから、三年一つことにかかれば大体めどが見えるから力がないとわかったら、見きわめをつけてすっかり方向をかえると今から云って居ます。そういうところ、はっきりしているからまあやって見ること、本気にやって見ることはいいと思い、私たちの生活に近くいてやろうというところには、全くこれまでと大ちがいの腰のすえかたがあるわけです。これまでは、生活に(父のなくなった後、彼女にとっては急変した条件での生活に)腰が落付かず、私たちの生活の意味はわかるが、近くにいてその調子に合わせること(部分的にでさえ)はのぞんでいなかったのだから。成長というか自分の発見というか、そういうことは例えば面白い一つの例として、ヴェトウヴェンの芸術についての意見で、二三年寿江子は、そのことで私と意見がちがいました。彼の芸術はもう歴史的な価値しかないと云う風に云い、私は、何を生意気云ってるのさ、誰の口真似かい、と云っていた。この頃やっと、そういう評価から脱して、文学的な人生的な芸術家の生活からの問題でなし、音そのものの問題として、ヴェトウヴェンがしんから音をとらえそれを駆使していることを理解し又芸術の性格において自分の学ぶべきものを最も豊かに蔵していると感じている。現代音楽についても、やっと私が同感出来るところまでやって来ました。音楽の性格は寿江子と緑郎とは実にちがうのです。緑郎は近代フランス音楽をよい学生的習作としての作品のうちで多分にうけついでいるし、寿江子は北方的で、単純で、メロディアスというよりもリズミカルで、すこし機械的なところがある。私が寿江子の音楽的創造性について一つの疑問を抱いているのは、寿江子の頭の機械性というとすこし表現がかちすぎるが、例えばドイツ語の文法を文法だけ勉強出来たり、代数の式をいくらでもうつして退屈しなかったり、そういうところがあること、及び、外面的な勝気のあることです。小さく速い頭のよさがあるところ、目さきを(通俗がかって)よく見るところ、それらは大きい芸術の素質とは反対のものです。外面的な勝気などというものは、もし本当に音楽がわかり、愛せばやがて消える消えざるを得ないものですが。
 心ひそかな私の空想を許せば、自分たち姉妹が、やはり芸術的生涯を扶《たす》け合って生きてゆくことが出来たら、どんなにかうれしかろうということです。寿江子がこの頃音楽にもとめている健全性というのは、
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