日だったか稲ちゃんと栄さんとが来て、二月十三日には本当に私の誕生日やるかと念を押し、のばしたなんて云っちゃ駄目ですよ、とニヤニヤしながら云いました。何をしてくれるのでしょう。二十三日にしようかと思いましたが、体がしゃんとしないからのばしたのですが。たのしみになりました。これぞというもくろみであの人たちが何かしてくれるのは初めてです。私はこの調子から推してあなたからは相当のものをねだってもいいらしいと思われますがいかがでしょう。何をねだらして下さるでしょう。余りゆっくりではないことよ。どうぞお考えおき下さい。かぜ気味をお大事に。病気をわるくしないおてがらをおくりものだと云われたら困る、謂わばそれにこしたものはないのだから、では又。
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 第九信
二十三日に手紙を書いて下すったのね、ありがとう。その前日あたりかと思っていたところでした。手紙を一行一行よみ進むうち、すぐ立って出かけたいようになりました。あなたはよく、あの懐しい懐しい物語[自注2]をおぼえていらしたこと。小さな泉とそこの活溌な住人雄々しいきれいな小人のはなしは、いつになっても、どのような話しかたで話されても、本来の愛らしさ、献身、よろこばしさの失われることのない物語です。私は沢山のヴァリエーション、かえ話を知って居ます。覚えていらして? 激しい待ちもうけの裡で眠っていた泉が、初めて活々とした小人の魔法で段々目ざめ、やがて美しい虹をかけながら湧き立って来たとき、何とも云えない呻り声で、びっくりした小人が見まわしたら、泉守りの仙女が草の中に失神しかけていたというところ。素朴な仙女がよく描かれていて、私たちは好意をもって笑いましたね。
おいしいものについての御注意もありがとう。全くおいしいものにも様々あり。
体温表のこと。それよりも、消燈・起床をやかましく気をつけた方が合理的のように思われます、今の状態では。どうでしょう。だって熱は五・九ぐらいから六・六の間にきまっていて、それをとるのは、私には何だか只形式のようです。私は種々のよくない習慣をもっているかもしれないけれども、一つほめられていいことは床について横になってからは、決して本をよまないということです。床に入ってからは、いつも仕事のこと、考えたり、親しい物語を描いていたりなかなか活動的で、収穫も少くありません。だから燈なんかいらないの。消燈したって心の中はときによっては光彩陸離の有様です。そういう動的状態でないときは、父の二代目で、ベッドへ入る、スタンドを消す、もうあとは前後不覚。いずれにせよ十時消燈という原則は守りますし守っても居ります。どうか御安心下さい。ほかの連中にかかわりなく、やって居りますから。
いつぞやの連作手紙についての批評ありがとう。芸術家が、もし真の現実と人間生活の諸関係、価値の比をとらえたいと希うなら、規模が大であればあるほど無私でなければならないということが、益※[#二の字点、1−2−22]痛切にわかって来ます。条件的な進歩性ということもよくわかる。これらの大切な諸点については、この間うちの手紙にもかいたように、つづいた病気が微妙に内的にも作用して、心理的に変化したところがあります。ただ、こういう肉体の事情の下で或時期――恢復期の敏感さ、感受性のするどさという感性的なものではなしに。歴史的正負を正しく設定するということは、核の核と思えます。それが出来る能力があれば、すべての小主観性やその日暮しの中での世俗的目安の腰据えなどけし飛んでしまうのだから。いろいろ臥ていた間にもそういうことを考えていて、自身の脱皮について、自身へのきびしさについて考えていたところへかえって来て「はたらく一家」直の小説をよんで、粛然としてしまった。自分など、稲ちゃんなど、本当に沈潜して真面目に真面目に沈潜してめのつんだ小説をかかなければならないと思って。何年かの間絶えず一作家の低下力となっていたものが勝利を占めて、作品のかげで悪魔的舌を突出しているのに、身についているとか何とかで、人間も四十になって云々とか自得しているのは、もう箇人的な好悪を絶しています。こと終れり的です。
芸術家、人間の成長の過程における正負というものは、極めて複雑でダイナミックであり、私はそのことについてもいろいろ自分の生活から発見します。正負の健全な掌握ということには、精神力の、運動神経の溌溂さが大事ですからね。自分たちの生活がいいものでなければならないと思うことと、いいものであるということとは別であるし、同時に、エッセンスに漬けた標本みたいないい生活なんてあるものではないのだし。なかなか興味深いところです。考えて見れば去年は苦しい一年でしたが、本気で暮したおかげで、私
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