けど、とにかく持って来た、と一つの袋を出しました。それはしっかりした日本紙の反古《ほご》に渋をひいた丈夫な紙袋でね、表にはそちらできまって小包に貼る紙がはりつけてある。「何だろう」猛然と好奇心を動かされました。「何なんだろう」とう見、こう見している。「サア、わからないけれど……」寿江子は勿論そう返事するしかないでしょう、私は余り特別な袋なのでフット思いちがえのような気になって、さては、あなたが何か工夫して私へおくりものして下さったのかと瞬間目玉をグルグルやりましたが、それも変だし、散々ひねくりまわした末「あけて見ようよ」と鋏で丁寧に切って中を出すと、何か全く平べったい新聞包みです。そしてどだい軽いの。そろりそろり皆が首をのばしてその新聞包をあけて見たら、何が出て来たとお思いになりますか。もう不用になった黒い羽織の紐! 三人三様の声で「マア」「アラ」「ヘエ」と申す始末でしたが、その紐はずっと私の枕元の物入引出しの中にちゃんと入っていて、私はマアと云ったって感情はおのずから別ですから一日のうち幾度か目で見、手でさわって暮したわけでした。一つの落しばなしのようでもあり、そうでないようでもあり、ねえ。
きのうここまで書いたら背中がゾーゾーして頭が筋っぽくなって来たので、あわてて床に入って一晩じゅうずっと床にいました。夜すこし熱っぽかったが、きょうは大丈夫。出初式がすまないうちは気が気でありません、本当に。風邪をひき易いのは全くね。きのう島田から多賀ちゃんが手紙よこして雪が降って心持よいと云って居ります。小豆島からのたよりにもまだら雪が降りましたって。こちらは凍てついた粉っぽい土になっていてせめて、雨でも降ればよいのに。あなたがおかきになった速達は八日につきました由、大変よろこんでいられたそうです、お母さんも。電報はやはり後についたそうです。すぐ広島へ送った由。ところで克子さんが二十五日に結婚します。どうか新しい生活を祝い励して手紙をおやり下さい。あのひとは善良な正直な辛棒づよいいい娘さんですが、すこしくよくよして、じき生きるの死ぬのというし、世間並の常識にとらわれすぎているところがあります。そのことについても落付いて気をひろくもつよう、よく云ってやって下さい。私もかきますが。出羽さんという家では全くよく辛棒したそうです。
白水社でロジェ・マルタン・デュ・ガールという作家が十四年間かかって書いた「チボー家の人々」という小説山内義雄訳を送って呉れます、十四冊の予定。第二冊まで。千九百十四年に到るフランスの社会を描こうとしたものだそうです。この何々家の人々というのは外国文学には決して例がないわけではないけれども、例えばロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」など、実に立派であるけれども、クリストフによって一人の天才の生きる道を語っていて、時代そのものを描く(人を通して)というところに焦点はおかれませんでした。ヨーロッパ文学の歴史で大戦というものは大きいエポークをなしているが、大戦後の文学の受けている影響が二様であることは極めて興味があり又教えるところ深いと思います。一つの現象は、ジェイムス・ジョイスの流派です。大戦によってこなごなにされた伝統、過去の思索の体系。その破片の鋭い切り口に刹那を反映し、潜在意識にすがりついて行った文学。こういうどちらかと云えば現象的な文学の姿に対して、そのような文学を生む社会の心理そのものを凝視しつつ、社会心理に注意を向けて行って、箇的な主人公のこれまでの扱いかたから社会の層のタイプとしての人物を見て、その矛盾、相剋、進展をリアリスティックに描いて行こうとする努力が現れている文学――このデュ・ガールのような。そして結局は後者が文学の成長の胚子を守るものですが、このデュ・ガールの人間の歴史性(箇人に現わされている歴史性)のつかみかたと、丁度今デュアメルが執筆しつつある「パスキール・クロニクル」というおそろしき大長篇(パスキル博士というのを中心にした年代記)の中での人間のつかみかたとどうちがうか、大変知りたいと思います、やはりこれも一九一四年という年代を問題としています。デュアメルは社会の其々の層のタイプとして人間をとり出さず、人間とはこういういきさつで動きつつこんな波をつくるという風に見ているのではないかしら。フランス文学にあらわれているこういう真面目な収穫は、今日の所謂《いわゆる》事変|活《かつ》の入った作家たちに深く暗示するところあるわけなのだが。
『タイムズ』の文芸附録の特輯、世界の文学を見ると、フランスでこういうものが着々と書かれてゆき、ドイツでは極めて旧《ふる》い(中世に迄溯った)小地方都市の歴史小説などが代表作となっているのは面白いことです。いい作品は歴史ものだけと云い得るらしい。歴史上の文献につい
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