「たことがありました。そのときバチェラーの養女になっている、アイヌの娘さんで八重子という人がいて、私より二十歳近く年上でしたが一つ忘れられないことをこの人が云いました、何気なくでしたろうが。「皆さんがアイヌを研究して下さいます。そして研究して下すった方は皆さん立派な本をかいたり博士になったりなさいました」胸の中が妙になった心持、今もまざまざ思い出します。だが、アイヌの生活そのものはもとのままということ、八重子さんの心の中で、声なき叫びとなっているのです。この人は和歌をよみます。この人は又バチェラーにつれられてロンドンにも行ったことがあります。
 当時私は八重子さんのそういう心持、悲しみ、キリスト教とアイヌの多神教との神話的な混同、そんなことに興味をもって書きたかったのですが、ものにならないでしまいました。今どうしているかしら。
 二十七日ごろから二三日図書館通いしようと思うので、それ迄に、こまごましたものもう二つばかり書いてしまおうとしているところです。
 筧さんの奥さん(光子さんという名でした)でも来てくれるといいけれども。でもいずれにせよ、私はこの間何とか永続的な形での生活をさがしてバタバタして、そんなものはないとわかって度胸がきまりましたから大丈夫。光子さんだめなら又そのように工夫いたします。三十日迄まだ五日ね。どうぞ本当にお大事に。

 五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月二十七日  第四十二信
 落付かない天候ですね、御気分はいかがでしょう。夜着そろそろお手許に届く頃ですね。一昨夜と昨日は一寸芸当をやってね。私たちふた児なのかしら。心臓がすこしガタガタしてきのうは一日床の中。きっと神経性のです。先工合のわるかったときそういう診断でしたから。すこし眠り工合が妙になっていたから。その故でしょう。十分気をつけて安静にして居りますから大丈夫です。読んだり書いたりも控えて。(これは別よ)お母さんおかえりになって吻《ほ》っとして御褒美頂いて一息いれるつもりでいたら、そちら工合がよいとは云えなくなったので急に気が又張って、疲れが内攻してしまったというのでしょう。小さな肝《きも》ね。こういうこと書くと、ユリ、又宵っぱりしたな、とお思いになるでしょうが、それは断然そうではないのです。
 二十九日
 きのうは一日おきていて、普通に暮しました。十枚ばかりのものも書いて。もう大丈夫。眠ることも普通になりましたし。午後、佐藤さんが、工合わるがっているときいて聴診器をもってよってくれて、胸の音をきいてくれました。きれいな音の由です。実質に故障があればズットンズットンときこえる由。脚気などで弁膜が肥大しているとキッチリ開閉しないので、ズズットン、ズズットンと、ずった音がする由。なかなか面白いものです。私のは、スットン、スットンと滞らずうっているそうですから、どうか御安心下さい。神経性の不調というのは頭脳活動をする人が折々やるものだそうです。誰でも五月は体の工合にこたえるという話が出ました。私は例年桜時分が苦しいのだけれども、この頃は桜の季節もずったのかしら、今頃に。
 それでも(神経性でも)工合などわるくしていては相すみませんから、早速栄さん御愛用の薬を買って煎じてのみはじめました。それはつよい匂いのする漢方薬でね、まっ黒の汁が出て、ヤレと思いましたが、案外にのめます。浅田宗伯先生直伝という字が書いてあるから愉快です。私の体は独特で、いろいろよく出来たところがありますから、マアこうしてすこし手当すれば大丈夫です。漢方の薬も永い間にはきくでしょうし、実際きょうあたりはややきいたと思われる感じもありますが。どういうものか。
○臨床講座の 20、95 おくれていますが、これらは来月五日ごろでないと出来ないそうです。産業医学の方は十五日ごろの由です。どうかお待ち下さい。
 明日は三十日ね。どの位元気になっていらっしゃるお顔が見られるでしょう。いそがしくおなりになるのは九月下旬の様子ですから、ようございます。明日のかえりに六月六日のために島田へお送りするもの調《ととの》えるつもりです、何がいいかしら。やっぱりお菓子と思います。どんなお菓子がいいでしょう。くさりやすくないもの。そして美味しいもの、ね。お母さん今頃三枚の写真をながめて、又一しきりお話が弾んでいることでしょう。そちらへも一枚お送りします。それは、どっちかというと珍しいお母さんがうつって居ます、笑いかかっていらっしゃる顔。立派に実に堂々たる風格です。島田で写真とるときはいつも何かで、お母さんのお気が揉まれ切った揚句《あげく》ですから、いつもかたくなっていらっしゃいます。林町のときはお客で気がおもめにならず、のんびりして、これから不忍の池へでも行こうというところですからそ
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