やってもいいけれど、家じゃ、鬼はーそと! と云ったら家じゅう年女までいそいで外へ馳け出さなくちゃならないから大変だ、と云って。どこかのお寺で鐘をついているのが仄かにきこえます、やっぱり節分のためかしら。島田なんかでおやりになるの?
 ああ、そういえば夕刊にこういう話が出ていました。アメリカから日本語勉強に来た学生曰ク(アメリカ人よ)「日本語はむずかしいですね、てるてる坊主の歌の中に、てるてる坊主、てる坊主、あした天気になーれ、とあります、なーれというのは何でしょうか。教科書にないです」成程と思ってね。なーれは、なれの調子だとはすぐわからないのだと、笑いつつ同情してしまった、すべての外国語の困難性について。
 十三日のために。私が好きなだけとることの出来る二つのもののほかに、どうぞお考え下さい。サア目をあいてと云われる迄目をつぶって待って居たいと思います。よくて、もうつぶりました。耳もおさえてしまいました。何が出るでしょう!
 月曜日に。冷える晩になって来ました、どうぞお大切に。きょうはすっかり早寝です。

 二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月八日  第十三信
 きょうはこんな紙。こういうのに細かい字を書くと読みにくくていけませんが、ほかのが切れたので。
 けさ、二月六日づけのお手紙。どうもありがとう。二月一日に書いて下すって、すぐそれから六日の分になるわけでしょうね。日光は暖いが、まだ屋根屋根や道路の日かげのところに雪が凍っているので風はなかなかつめとうございますね。五日の晩、大きい牡丹雪が降り出した景色は好くて、寿江子と二人で北窓から並んで首を出し、櫟《くぬぎ》の並木の梢が次第に雪にとけこんで行く景色をやや暫く眺めました。六日にも雪だから勇んで出かけたわけでした。私は雪が実に好きです。雪の匂いというのを知っていらっしゃるかしら。雪には仄かではあるが独特の匂いがあって、豊かで、冬に雪の少い東京は味がないとさえ思います。何も冬は雪にとじこめられて育ったわけでもないのに可笑しいけれども。冬のゆたけさは霜と雪とです。春の泥濘《ぬかるみ》も歩くにえらいがやはり感情があります。
 さて、私のおなかのひきつりの件。ひきつりはこのごろ大分ましになったのです。はじめ内部がひきつって嘔気を催したりした位でしたが、それはやんで、次には歩くとどことなく不快につれ
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