私は興味をもって見て居ります。彼女が我知らず求めている生きている音楽、音楽|通《ツー》のデガダンスでけがされていない音楽というものは、どうしたって、それを生める社会的・個人的条件があるので、まことに遅々とながら、そういう生活の欲求と音楽的欲求とが歩調を合わせて来かかっているところがなかなか面白い。そして、その底には真劒なる課題が横わっているのですから。寿江子はいつその底にふれて、又一つの目をひらかれるでしょう。元は境遇の事情によってディレッタント風な要素でまわり道をさせられたにしろ、現在の生活事情の中でも猶《なお》音楽を忘られず、その希望で体も癒す努力をしているとすれば、やや本ものなのかもしれぬと思われます。
 ゆうべ、一寸面白かった。栄さんの小説を茶の間でよんでいた。寿江子もそばにいて、私の注意する箇処を見ていて、あとで文学と音楽と随分ちがうと思った、と云う。それはそうだろう、どこをそう思ったときいたら、一つの小説として見て、私のさすところはものの感じかた描き出しかたの点で、作曲で見れば音から音へのうつりかえかたというようなもののようだが、音楽をかくのは、感じかたそのもので書くのだから、ああいう感じかたがどうこうという問題があれば土台かけないことになるんじゃないかと云っていた。私は興味を感じ、「小説だって土台は感じかたで、事柄が小説ではない。事柄に何を感じているか、それが小説たらしめる精髄だが、そういう本ものの小説以前のものは、ことを描いているだけが多い」「事でもかける、そこがちがう。ことはまるで音楽にはないのだから……」そういう話もなかなか面白いの。鑑子さんとは決して出来ない点にふれて喋っている。寿江子だって大人ですものね、考えて見れば。達ちゃんと[#「んと」に「ママ」の注記]二つ下でしょう? 五になりましたから。
 達ちゃんの話、大変こころにつたわりますね。どうかしら。実現されるかしら。兄弟の心、兄の気持というもの。三人は仲よい兄弟たちであると感じます。その感じの裡には、そして、一語で云いつくされないものがこもっています。明日は、寿江子のことで林町へ行かなければなりませんから、神田へまわって送るものとりそろえ発送しましょう。三人の兄弟の上にも歴史は実にひろく深く、まわって居ることを考えます。
 そちらにゆく袋の中に「チボー家の人々」というのを入れてよんでいます
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