オょう。こういうセンスです、おどろくでしょう、そして文学です。こういうことは、今の流行作家というものの映画俳優的ありようによるのです。通俗作家=流行作家――よんでやる、これね。生きかたというものをどの位うっちゃっているのか、これが実によく語っている。私一ヶのことについて云々しているのではないのです、もっと文学のありよう、或は作家というものの生活が、おのずから一般に与えている感銘の意味でね。
 知識人は大宅壮一の巧《たくみ》な表現によれば、急テンポに半インテリに化されつつある、それは本当です、作家が、そこにおらくについている。女が、ちょいといたずらをしてと云うのは、おひがんにおすしやぼたもちをつくったときの言葉です。ひどいものね、文化はこのように低下しつつあるのです。こんな母が育てる児というのはどんなでしょう。いろいろな歴史の時代を経て、人々が益※[#二の字点、1−2−22]窮乏のなかから慧智を得て来うるところと、物質の乏しさ=精神の低さというところとではちがいのひどさがこわいようなものですね。
 さて、これできょうのお話は終りです。
 けさは喉がカラカラになりましたが大丈夫でしょうか? お大切に。ユリのかわきどうかしてとまらないのは閉口です、では。

 十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月二十三日  第九十八信
 十九日づけのお手紙をありがとう。やや久しぶりね。十日ぶりでしたから。
 佐藤さんは、試験つづきで、お医者は大変ですね。あのひとも盲腸をとってから大分ましだそうです。盲腸と云えば、私はあの先生が満州からかえって来て、日どりがきまる迄何となし落付かない心持で居ります。そっちがすまないと何だかおちおち出来ない心持。おわかりになるでしょう?
 鉢植は小菊な筈です。どんな色の菊でしょうか。いもの葉のようなのはペラゲアというのでしょうと思います。葉脈の色がちがうのでしょう? そんなに新しい葉を萌え立たせたというのは本当に感心だこと。恐嘆とかいてあって、思わず笑いました。よっぽど驚嘆の度のきついのだと。ユリの場合は、たしかに適切ですが。大規模で微妙な演出という表現は、実に含蓄があり芸術のセンスに充ちた表現で感服いたします。わが小説もしかくありたいと切望いたしますね。
 朝晩のこと、マアこの位がいいところでしょう、九時台はなかなかね。三笠の本到
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