ノおうので。冷蔵玉子だそうです。バタは? 雪印マルガリンは本ものに似ているそうです。南京豆バタをたべようかと思います。
 世帯をもっているということは、この頃の時代ではなかなか作家にとって並々ならぬ意味をもって居ります。時々刻々が反映していますから。それは感情に反映しているのですから。この三四年間を自分で世帯をもって暮すのとそうでないのと、どの位ちがう結果になるでしょう。面白いと思います。時代のカンというようなものは面白いところにありますから。料理に対する感情などでも、私たち流の真価が益※[#二の字点、1−2−22]発揮されて来るわけでしょう。実質的なところが、ね。
 文学の仕事と云っても劇は劇場の関係がひどくて、小説の矢田津世子ぐらいのがくさっていますそうです。評価の点で矢田がどういう作家であるかということは別で、ともかくその程度のが。劇で心理描写が出来にくいというのもいろいろの点で制約ですね。岡田さんは久しく抱月、須磨子、逍遙を描きたいのだそうですが、それをかくと、早稲田演劇図書[#「書」に「ママ」の注記]館お出入りさしとめのようになるでしょうとのことです。逍遙のバツが民蔵その他がんばっていて、劇壇の半分は対立するというのだからたまりませんね。
 話していて面白く思ったことは、岡田さんは抱月と逍遙とにとって須磨子がかけがえのなかったという感情葛藤の面のみであり、私は本当に書けるのは、須磨子にとって抱月が、かけがえのない人であったということの心理しかないと云うみかたをしている点です。両方かさなるのが現実です。しかし書く意味のあるのはやはり須磨子の内からのみでしょう。さもなければ、何もああいう情熱へのまけかたはしないのですから。生活によって、見どころのちがうところがしみじみと面白い。
 たとえば、清少納言のことについて、きのう国文専門のひとと話して、「枕草子」の或場面で、清少の心ばえが、いかにも女房風情というところが、あらわれているところがあるのです。仕えていた中宮が権門の関係におされて、まことにおちめになり、藤原氏の女御が高くおさまっている。中宮は住居もひどいところに居られるが、互には愛していて、その端近のところへ来て朝二人ならんで立って、守護の武士たちが出入りする様子など眺めていられる。その姿はなかなか味深い人間らしいものです。清少はその姿にちっとも心うたれてい
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