ナも具体的だし。現実のリアルな内容というものが作用して来る来かたの微妙さ。その微妙さを考えると、感じ深めてゆくと、次善的なあらゆることが惜しく思われて来ます。実にね。これまで、私はこの次善的なあらゆることが惜しい心持を、その心持なりに自分に許して、というか承認するというか、そうではなく、とにかく次善的なものを可能なだけ積極の面へ転出しようとする、そういう面からだけ自分の心を見はっていました。そのことで、負けていたと思われます。こんな云いかたでは、よく呑みこめなさらないかしら。負けまいとして負けていたという工合だったのね。肩に力いれてね。あらゆる感情のうちに安心して自分を放してやっていなかったと感じます。
二ヵ月ばかりえらく暑かったりむくんだりしたおかげで、そういう方面のリアリスティックな充実から、自分の気持のリアリティも安心してつかめて来たというのは面白いところであると思います。少しずつ或ところへ出たとき初めて、これまでいたところが全体として見えて来る、そのことも面白い。一生懸命にやっていると、ともかくそうやって、流されるのではなくて歩き出して来るから、それも面白うございますね。負けまいとして負けていたことにしろ、反面から表現すれば、押し流そうとするものの中で、とにかく一足一足自分の足で行こうとする、その努力に一杯ということなのだから。人生への態度として、去年の夏のことね、私がすこし微熱出したときのその対応法のこと、なかなか一つの点《プンクト》であると、よく思います。一人の人は、温泉に行って休養しろという。一人の人は、朝六時におきて八時迄に来い、毎日来るように、という。ねえ。後の方法で熱がとれ、生活の全般が一変化を来している。どうも面白い。こういう生きかたの力と美しさ。武者小路は一人合点の多い人ですが、人間が出来ることをするという丈が容易でないと「人生論」に云っているのは当っています。
それからね、そういうことと直接ではないが、間接に結びついていてこの頃感じるのは、子供との遊びかた。子供と遊んでいて、発展的な気分で遊ばせること、そのことは子供の発意を導くようにという表現で云われて来ているが、その発意の導きかたにも工夫の範囲で云われていることが多いのね。自分で工夫させろという風に。だが、それで人間の精神の働きは終りませんから、何か先がある。自分のやっていること興味
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