[の仕事の由。いろんな妙なことがあるものです。
 六日までに一区切りまとめ、次月の分も十五日迄にまとめてしまうつもりです。小説も書いた方がいいのですが、今の私の心持の主流は御承知のようなものですから、そういう作家の人生感情の基調の上に不調和を感じず、しかも外部の条件に適した題材というものがそうざらにはないので、思案中です。『中央公論』で十月にと云っているのですが。『文芸春秋』の「その年」の代りもまだだし。小説というものに求めているものが、私の心の中では益※[#二の字点、1−2−22]深い濃い、些細ならぬものとなって来ているのです。あら陰翳《かげ》が〔約三字不明〕あら、晴れた、そんな風なものでは辛棒出来なくな〔約五字不明〕むずかしい、自分にとっても。今毎月つづけている仕〔約三字不明〕今度大正五年迄。それからの分に次の十年。それからの分に昭和の十年間。それから現在に到る部分。もう七八十枚以上かかるでしょうから、それが終ると、私はどうともあれ「雑沓」のつづき書きはじめそうです。ためておくものとして。あなたに向って、評論と大きな顔も出来ないからマア感想めいたものとしても、そういうものにしろ、やはり婦人作家として生き、善意の生活をねがっている者としてしか書けないものを、まとめられれば、やはりすこしはうれしいところもある。「時代の鏡としての婦人作家」大きい題はこうね。黙りこんで、ひっこんで、ムシムシ仕事がしたい。勉強したい。そういう心持です。明治以来の日本文学の中で、婦人作家ののこしている足跡というものは小さく、まばらですが、実に独特に悲痛〔約五字不明〕もっていると思います。女のおかれている社会事情の〔約六字不明〕が実にてりかえしている意味で。ヨーロッパの婦人作家〔約五字不明〕りの通俗作家と数人の文学的作品の作家とを出しています、少くとも二十世紀に入ってからは。ところが日本では、女の通俗作家というものは吉屋など以前には一人も出ていず、皆、育ち切らない作文のようなしかも真面目な(主観的に)文学作品をつくろうとしていた(明治四十年以降)。ここにはやはりなかなか人生的に、そして社会的に日本の女のその時代と層とのありようの特殊さがあります。ものを書きうる女の層のせまさもあらわれていて。全く所謂中流的なものですから。そして、ものを書いて行ける才能そのもののために社会の歴史の歪みにひっぱり
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