ナす。本年は肥料もずっと高かったところへそれでは困るでしょうね。慈雨を待つ、とお手紙にあり、実感をもって書かれていることがわかる程です。それでも家じゅう皆丈夫の由。お母さんもお元気の由です。何年も前、私がいくらそれが出放題のこしらえごとだと申しても、本当とお思いになれなかったことも、今ではやはりそうであったかとお思いなされるところもありましょうし、何よりです。
間接に深められてゆく感動というようなものが甚しくて、ユリはこの頃、まことに引しまった心持です。一面に堪えがたい優しさに溢れつつ。言葉すくなく、思い多く暮して居ります。あなたにさっぱりした浴衣でもうしろからきせかけて、どんなに、「御苦労様ね」と云って上げたいでしょう!
手紙順ぐりついて居るでしょうか。きょうは夜になるまでに『音楽評論』へ五六枚の感想(音楽について)をかこうと思います。そして、そろそろ「明治の婦人作家」の下ごしらえ。本月は火・木・土が二十九日までつづきますから、早めにとっかからなければ。明治四十年代の思想や文学は複雑で面白うございます。この面白さが、さながらに脈絡をもって活かされるのには、大分勉強がいりますから。図書館の目録さがしも大分勝手を覚えました。日本が十年十年に一つの波を経て今日に到っている。おそくはじまった急テンポということが何とまざまざとしているでしょう。女の生活は、両脚を手拭でしばってピョンピョンとびする遊戯のようにその間をとんで来ているわけですが、この頃では手拭をほどいてかけ出そうとはせず、手拭はつけたまま、そっちへひとの目も自分の目もやらないように顔や両手でいろんなジェスチュアをする。そういう芸当を覚えて来ている(文学に於て、生活態度において)。明治四十年代はまだ非科学的ではあるが、手拭を見て、抽象の呪文で(「女性は太陽であった」というような)ほどけるものと思っていた時代。昨日の火曜日は何か錯雑した印象でした。「それがですね」というような癖なのね、平面の渦巻の感じ。では又明日。どうかよくおやすみ下さい。
七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十三日 第六十八信
きのうから降ったりやんだりの天気ですね。温度は低いのだけれども、今日(八十二度)湿気がきついので、何となく体は苦しい様子です。いかがな調子ですか。あれきり平穏でしょうか。二人一度にな
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