、いうものを考えます。私はそういう点では「独自性」の反対のたちを多くもっているから。婦人作家の歴史にしろ、何かのきっかけでふとよみついた人が、ずーっと導《みちびか》れて明治というものを今日にまでいつしか見わたすところに出てくるという風なかきかた。読者にこびるのではなくて、普通の読書人のもっているいろいろのでこぼこ、弱さ、気まぐれ、そういうものを十分よく知りぬいて、一貫したものについて来させるだけの作家としての努力、それは、云いたいことをよくわからせようとする熱心さと比例するものであると思います。自分を分らす[#「自分を分らす」に傍点]のではなく、そこに描かれていることを分らせようとする、ね。
日本の私小説の伝統は、この作者の世界を分らせるに止る限界を、まだまだうちやぶっていないから。武麟の自分[#「自分」に傍点]の匂いのつよさはその体臭で読ませているようなものであるし。より高き精神の美しさとまでは行っていず。しかもその精神の美しさも全く具象的であるという意味で、一人の作家の生活に根をおろす以外に成育の道もないところが又微妙です。そこの傍で団扇の風をあなたの横になっていらっしゃるところへしずかに送りながら、時々こんなおしゃべりをするわたし。じゃあしばらくね、と机に向うわたし。やがて、お茶でもあがりたくないこと? と立ってくるわたし。そういういろんなわたしを描き出して下さることは、大変無理でしょうか。私の心の一日は、全くそのようにして送られているのですけれど。
七月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月十九日 第六十七信
どうも、やっぱり書きなれた紙がようございますね。きびしい炎暑ですがいかがな工合でしょうか。ユリの方は全く文字どおり汗みずくです。夜中つめたくて目がさめ、ねまきを着かえるという調子です。でも寝汗ではなく。
きょうは一日在宅の日で、二階に大きいテーブルをもち上げ、椅子をもち上げして、自分の落付き場所をすっかりきめました。これから二週間ばかりはここで仕事をし、手紙をかき、暮します。
これは父が事務所でつかっていたテーブル。『中條精一郎』の扉についていた写真、あのテーブルです。堅木のごくあり来りのテーブルに右手へ小さい張り出しをつけてあります、折畳式の。それを上げると四尺ほどになって、ものをひろげるのに好都合です。下の足を
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