ヘを、一面からはそういうようなものとして見るのですね。この人は文明史を講義していたというのに、フリイドリヒの「家族の歴史」など本気に一度もよんではいないらしい。この人などきっとヨーロッパの伝統の中では、所謂自由思想家というタイプの典型なのね、きっと。今よんでいるのは「恋愛と結婚」原名「生命線」です。この次「児童の世紀」をよみ、それでケイ女史は終り。
 日本の三十年代には「短い翼」で書いた時代には、平民社の活動があって、いろいろ読まれているのに、そういうものが一般の中には成育しなくて、ひどく文学的に「みだれ髪」になったり、四十年代の青鞜になったりして行ったことにもよく女の生活の一般のありようが反映して居りますね、文化の土台が。
 いろいろと書いていて考える一つのことは、これまでの一寸した文学史では、例えば自然主義にしろ、花袋が明治三十九年かに「露骨なる描写」と云ったということはかき、四十何年かに「フトン」を書いたとは書いているが、四十四年頃から自分の態度に疑問を抱きはじめて、何年か後には妙な宗教的みたいな境地に入ってしまった、その文学の過程について歩いて見て、日本の自然主義というものを見きわめていません。自然主義をとなえた、そしてこういう代表作を出した。それっきりね、大抵。こういう消長の見かたにも、文学史の脆弱さは出ている。私は一葉のこと書いてそう思いました。一葉は文才と彼女の歴史の限界としての常識性と境遇の必要から、明治三十年後に生きていたら、所謂家庭小説(大正以後の大衆小説)に行ったでしょう、彼女が形式は新しい試みとして書いている「この子」という短篇に、そういう要素(家庭小説の)が実にくっきり出ています。本来的な問題をとびこえて、子は鎹《かすがい》という思想を支持していて。何か始めた、それも歴史的です。だが始めたことがどうなって行ったか、そして終りはどのような形に進展したか。この過程にこそ歴史の諸相剋が映されているのです、実に痛烈に映っている。ですから私は青鞜の時代を扱っても、その人々の今日の女としてのありようにふれずにはいられません。らいてうが大本教にこったということも一つの笑話ではないのですから。
 ケイは十八歳のときイプセンの作品をよんだ由。後に影響をうけたのはミルやスペンサー、ラスキン、こういう方向に行っている、再び彼女の自由思想家である所以、ね。明日はど
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