\一信
朝のうちは涼しいようだったのに午《ひる》頃から大分むしましたね、御気分いかがでしょう。フムと云って例のようにお笑いになる、まあ、そんなところね。どうぞ呉々お大事に。
きょうは午すこし過までそちらで、かえりました。かえりに弁護士会館へまわって、いつぞやの人の方すっかり話がつきました。自分から届けを下げるそうです。自分でも、公判通知が来たので思い出したという範囲の由です。足労に対しては十分のこといたしますから御安心下さい。それがもう二時すぎ。おなか大ぺこで、日比谷の中の更科でおそばかきこみ。そこから林町へ電話かけました、昨日が予定日でしたから。もしか来て欲しくなっているのにいどころがわからないなど云ってさわいでいると可哀想故。そしたら、すこし何だか工合がふだんとちがって国ちゃんおそくなるというので、一旦家へかえり五時頃出直して、只今は林町の食堂。ここはこの頃皆腰かけです。もと、この食堂で手紙かいた時分は坐って居りましたが、今は腰かけ、きょうなどほんの二時間余、うちで座ったきり故何だか脚が重いようだこと。
電気時計が音をたてて廻っていて、二階の雨戸しめる音がして居ます。太郎今ねたところ。
明日は一日日比谷です。そして明後日そちらへ行って見ましょう。あなたのお体に感じられているいろいろの必要よくわかりますから、私の行くことについての御心づかいはいりません。只どうかなるべく体の条件に適したように、やっていらっしゃれるようになるといいと心から思っているばかりです。
きょう、大分エレン・ケイをよみました、初めて。明治四十年代の日本の知識婦人たちには影響を与えていた人という意味で。興味深くよみました、その混雑ぶりを。ケイは三十歳ぐらいのとき、あの有名な婦人数学者だったソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤやその親友で彼女の伝をかいている婦人作家(彌生子訳)たちに死なれ、大分寂寥を感じた由。二十年も(一八八〇年以後)ストックホルムの民衆大学でスエデン文明史の講義をしていた由です。彼女がものを書きはじめたのは一九〇三年なのですね。それまでのドイツなどの婦人運動が単純に「男と同権」の女だけ考えて来たのにケイは男とはちがう婦人の権利を諒解しはじめたという点では、ヘヴロック・エリスの云っているとおり価値があるでしょう。トルストイの恋愛や結婚、女というも
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