蛯、。匂いのうちに一層深くおぼれながら。
バックの本、考えて居りました。「その年」のこと、あれそのものについては、懸念のないものですが、一般にふれてのこととして全く正当な重点の見かただと思います。これは、あながち単純なハピイ・エンドに終らないようなものでも、ハピイ・エンドに終れないことを、気分的に只もってまわる場合にも生じる文学上の危険ですから、明るさなどというものは、現代にあって複雑きわまったもので、窮極は、あらゆる暗さを経つつある、その経かたにあるだけとさえ云えると思います。最も立派な形では複雑をきわめつくした単純さのうちにあり得るだけです。そしてそれは、誰もの日常にあるものでないし、又手放しで現象的に生きて私たちが身につけ得るものでもない。
「その年」の母は、元気をとり戻しかたが、現実の受け身な肯定でないし、あきらめでないし、ある生活的なプロテストとしてあるのです。現代の明るさというものがもしあれば、それは決して呑気《のんき》なテカテカ日向の明るさではなくて、非常に光波の密度の高い、その透明さの底に、或る愁をたたえた美しさのものです。非常に質の緻密な知性とそのひろやかさと歴史の洞察への長くひるまない視線から射出されるものです。ユリの明るさの感覚も、おのずからそこまで成長いたしました。子供の日和ぼっこのようなのや、何か殆ど肉体的な感覚的なものであったところから。面白いものね。ああ、でも決して所謂哲学的ではありませんから。どうか御安心下さい。感性的なものとして矢張りあるのですが、その質が大人になってゆくというわけなのです。
うちにいてくれる人のこと。仰云っていることよくわかります。いつぞやもふれられて居た点でした。仕事している間、家の中大変な有様だとしても誰も小言は云わないのですし、自分の食事ぐらい、この頃の体の調子から苦労ではないし、果して、一人では迚もやれないかどうか、考え中です。一人になった当座は実にいやでしたが。気やすいところもあるの。いろいろの点で。伸縮自在なところがありますから、経済的にも。人をおいていれば、仰云っているような点でも、どうしてもちがうところが出来ます、決して主人根性ではなくてもね。人の労力というものについて、その消費者めいたところが出来ます。私たちのところでは、よそとは比かくならず、食事も一緒だし、外出日もきめてあるし時間の自由もあ
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