O枚ばかりの文章。いろんなひと、例えば金子しげり、時雨、夏子、宇野千代、私など。なかに稲ちゃんが女の不幸を自身の不幸として云っていました。現代のこの歴史のなかでの女であるということが、決定的に不幸であると、だが仕方がない、やって行くしか仕方がない。「女というもののほかに自分の性格というものもありますから」と。これは何かよんで苦しい文章でした。何となくこの頃わき目に苦しそうです。
女の作家など、文学全般の低下のままに、ひどいありさまとなって只達者に、女だものだからそういう露出性、ばかさも男の下らぬ興味をひく故のような作品など、恥知らず書いたりする世の中ですから、一方、真面目な女の辛さは倍加するわけです。しかもその苦しさが、爽やかにはゆかず。苦しさをも快よしとするような高く翔ぶ味でなく現れるのですね。
この短文のなかで、私は不幸と固定して感じつめているものはないことや、スポーツにおけるフェアプレイのよろこび、かなしみ、善戦というものの勇気、それが人生の感じで、もし私が道具としておしゃもじ一本しか持たないとして、対手が出刃もっているとして、やっぱり私はそのおしゃもじを最大につかって、たたかい、それを道具としてすてない勇気、を愛しているということをかいたのですけれど。現実のなかで女がどんなに低いか、それを知らず踊っている人々。それを痛切に知って苦しむ人、その痛切な知りかたや対しかたが、一緒に生活しているものの微妙ないきさつでいろいろなニュアンスをもって来る。私は女も低いが、男の低さ、そして人間の大多数おかれている低さ、そうどうしても感じが来ます。
小説のこと考えながら、この間送りかえして下すった『日本代表傑作集』ですが、よもうとして出したら皆ひどいのね。宇野浩二のきりぐらいです、ましなのは。それだのにあの序文の大きい文句。この頃に又去年後半期分というのを出しましたが、その内容を見るとやはりどうかと思われます。
私の書こうとしている小説はね、姉と弟です。田舎から東京へ出て来ている。姉の側からの心持。姉は二十一。弟は高等をこの三月に出て、三月の第三日曜日に先生にひきいられて、一団となって上京して来た少年たちの一人。今年はじめてです、こうやって少年群が、就職のため、先生につれられて来たのは。三月のその第三日曜日からかきたいと思っていたもの。
宇野浩二と深田久彌の作品をよ
前へ
次へ
全383ページ中218ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング