フ中では目について離れない、その画家が語られているのも親密です。ブリューゲルの絵は、つかみかたがいかにも生活的で、色も落付いた美しさに充ちていて、上質の散文のような美です。レムブラントを詩とし、ルーベンスをゴブラン織として。
 この著者は文章にも一方ならぬ苦心と注意とを払っているのがわかりますが、文章の仮名づかいのこと(音表式でゆく)どうお思いになったでしょう。作家の保守的なこのみからでなく、よんで行ってどうお思いになったでしょう、例えば「わ」という字、「は」の代りにつかう。「はなわ」、「はなわ」どっちが「花輪」か「花は」か、勿論前後のつづきでわかると云えるけれど。音表で、は、わ。へ、え。を、お、等統一されることはローマ字への便利のため、子供のため、いいと思われますが。ぶつかるようで初めよみづらかった。これは単なる習慣でしょうか。変ってしまえば、それでなれる、そう考えてしかるべきでしょうか。
 今日の国語、国字の改良問題運動の中には卑俗なものその他がどっさり混りこんでいるのは実際ですが、たとえば子供|読《よみ》ものの再吟味で、講談社が氾濫させ、子供の注意を散マン低下させた粗悪な漫画がいくらか減ったのなど、やはりよいことの一つとして作用しているようなものです。
 女学校に英語はいらないという声があって、県によっては早速やめたりしたそうですが、今度必修課目の一つと決定。これはきわめて当然のことです。英語が何も立派だとか高級だとかいうために必要なのではないのですものね。カンは指では切れない、カン切りがいる、その謂であるのですもの。語学そのものをかつぐのはタカホ夫人板垣ぐらいのものです。
 きょうは、『ミケルアンジェロ』を読み終ってそれについての感想、かかなければなりません。メレジェコフスキーのレオナルド、それから新書でやはり出る児島喜久雄の『レオナルド伝』へも連関させ、書くの、たのしみです。
 イギリスにマリ・ストウプス夫人という性に関する科学研究家があります。妻、母としての生活の面からいろいろの研究をしていて、一つの本では、自然というものの洞察において非常に優秀と感じたことあり。日本では婦人の医者で、両性の生活を語る人は、最も低い科学性(自然の美への感動や愛や人間感応の微妙さへ十分ゆきわたらない)に立ちやすくて、所謂単なる生理において語っている、それは、いつも、そういう
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