タ談会の用意のためによんだ本、いろいろ深い感想を湧かせて居ります。体の事情がいろいろの段階を通り、それが一つとして単な[#「な」に「ママ」の注記]反覆ではない通り、心配という、こういう心持もやはり、今日のように新しい経験にふれて行くのは微妙です。(この心持は又いつか)どうかお元気で。代筆でも代弁でも辛棒しますから。そちらへ行かないからと云って、私がのーのーと宵いっぱりして、のーのーと朝ねしていられないこと分ったことではあっても、でも又表かきましょうね。私は一つもあなたに心配をかけたくないの、ですから。頁のことも。特別土産のこと(お母さんの)伺ってようございました。
 ああ、それから達ちゃん隆ちゃん、其々新しいポケット型の支那便覧をつけて送りましたから。

 五月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月二十日  第四十信
 ふと思い出したのですが、枕ね、やっぱり元のをつかっていらっしゃるのでしょう、ようございますか? 空気枕は、やはり空気をすこし入れて、何かの上において使わないとポンポンして落着きませんでしょうね。
 ゴムがなくて、これから出来るのはこわれやすいから一つ買っておこうと思います、いずれ御入用でしょうから。
 うちの母方の従妹で、和歌をやり、ラグーザお玉さんの大ひいきである古田中[自注16]という奥さんの息子、だから私の又いとこ、が八日に赤坂に入営しました。召集です。挨拶が来ました。その家は男の子三人、女の子一人。男の子の最初です。すこしこちらにいて、出かける由です。
 二十一日
 さて、昨夕は数寄屋橋外のニューグランドで『婦人公論』が一つの座談会をやりました。岡山に国立の癩療院があって、そこの院長光田という先生は、日本で明治三十年代に初めて癩の国家施設をつくったその当時からの専門家であり、四十五年間の努力をつくしている方。もう一人は昭和に入ってから大学を出て博士をとって熊本の同様のところで活動している林という少壮。その二人を主として、大谷藤子(作家)平井恒子(婦人運動の方?)私とがきき役で、いろいろの話をきいたわけです。光田さんは歴史そのものであるから話は尽きない。大変面白うございました。或点から私たち外部のものに語られない面の多くあることも判りましたが、しかし、一つ深く感銘したことは、『婦公』の思惑では、小川正子の「小島の春」が出た
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