|チがこしらえた縁下の穴をうずめて平らにしたり、のめり出して芽立っている青木の枝をとりまとめたり。何と珍しいでしょう。大分きれいになりました。が、つくづく眺めて嘆じて曰く「よくよくつまらない庭だねえ。」情緒のない庭です。大家さんの気質が反映して居り、庭をいじったりしている暇のない私たちの生活も現れている。何とかもうすこし、奥ゆきをつけたいものだと眺めました。
 私にもしそんな暇や金があれば楓の多い、小径のある庭をつくります。芝生に灌木の茂みがあって、その下に並んでねころぶによい静かなかげをつくります。冬になると、濃い濃い紅梅がチラリチラリと咲き出せば申し分はありません。ずっと昔、エチオピアに、今ロンドンにいる王が暮していた時分、日本人のクックが行っていて、その話に、エチオピアでは人のたけほどの紫の菖蒲が咲くのですって。その紫の花が咲き連っている間を、色の黒い高貴な面立ちの王が、黄金色の日傘をさして散歩されるのは、美しい眺めだったと話していたのを憶い出します。さぞ、と思われますね。その王様の娘さんはロンドンの或病院で看護婦として働いていられます。王妃はこの間、大層悲しそうにハンカチーフを手にしてロンドンから去ってどこかへ行きました。
 栄さんの庭には、どくだみをいくらむしっても生える由。鶴さんたちの庭は変化なくこの頃は鳥かごの並ぶこと十三。『中公』から評論集が出る、その目次と原稿の一部を渡さねばならない、髭をそらなければならない、シャボンの泡をなすりつけながらお金とりに来た鳥やの爺さんを長火鉢の前に据えて、「ホーからケキョまでが短いね」と云っている。鶯のこと。「通せばいいと思うんですがね」「通すって何のことです」と私がきく。とやにつく六月―九月をしのげばよい、という意味とのこと。ほー。マアそんな工合です。中野さんのところの庭には、西洋間の前に藤棚があったのが去年の二百十日でふっとんで、それでもさすがは世田ヶ谷ですから牡丹だの何だのと名のつく芽があって、南一杯日もさす。手っちゃんのところはいい大きい沈丁花もあり、木蓮もあり、百合その他季節の花が植っているが、どうも植っているというのに止っている様子です。
 御気分はいかが? この頃は皆体の工合よくないと云っています。
 十七日
 きのうは、午後から評論家協会の催しで、駐日弁事処長とかいう仕事をしている人で趙滉という人の芸
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