と、うれしい。聖ロカはきっとこの廊下は公園に非ずという原則がわかっているでしょう。
 クリスティーの『奉天三十年』二冊お送りして見ましょう、そう云えば『闘える使徒』の新版まだ出ないらしい。あれとこの奉天三十年とは二つの照し合わす鏡のように、支那の五六十年間を語って居ります。奉天三十年の方がもっと歴史の各場面をはっきりと。この著者は伝道医師故、それとしての小鏡も手にもたれているが、読者はその鏡が、その持ち手にどういうものとして主観的に見られていたかということも亦判断出来て、ぎごちない訳ではあるが、よめます。
 この十日ばかりの間によんだものでは、これと、シュトルムの短篇とがマア印象にのこります。スタンダールの「カストロの尼」も一度よんでおいてわるくはないものでしたが。スタンダールの「赤と黒」や恋愛論は十年間に十何冊とか売れたぎりだったそうですね。「パルムの僧院」は一日十五時間ずつ労作した由。
 小橋市長の発案で、今度は都会文学というもののグループをつくって、東京の情操にうるおいを与えるそうです。顔ぶれは秋声、和郎、武麟、丹羽文雄、横光利一、もう一人二人。林芙美子、深尾須磨子諸女史はイタリー、ドイツを旅行に出かける由。ドイツの本当の心にふれて来るそうです。
 一時長篇が流行しはじめて、忽ちある方向へ流されて行ってしまって今日に及んでいるので、本年は、純文学の甦生は第二義的野心作を並べる長篇よりも、寧ろ地味にフリーランサーとして書かれる短篇のうちにその可能がふくまれていると考えられて来ているらしい様子です。有馬農相の写真をつけた農民文学叢書も、今度は急に表紙を代えなくてはならなくて大変でしょう。
 林町では太郎かぜ引。咲枝がすこし体の調子が変と云って居りますが、これは或はやがてお目出度になるかもしれず、まだはっきりしないらしいが。
 あなたからの私の世話をしてくれる皆によろしくをよくつたえたので、お手紙が来ると、冗談に、よろしくがあるかしらなどと云って渡してくれます。あなたはここでも、廊下を歩いたりいろいろしていらっしゃるわけです。
 和英の辞典はコンサイズよりもすこし大きくて目のつかれないひきいいのが林町にあったから、それと同じのを入れましょう。新法学全集は文楽堂に云いつけます。お金もうおありになりますまい。一二日中に送ります。ではこれで病院での手紙はおしまい。私が、黄
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