ン送りにゆくかときいたら行くと云ったということで両親ついて来た。
 特急は御承知の通り定員で切符を売って居りますから立つ人はありませんが、その代り一つも空いたというところがない。二人ずつ、つまりぎっちり四人向いあって、相当です。私のとなりに来合わせる人は、私を苦しめるだけでなく自身もよけいキュークツ故笑ってしまう。大陸との交通繁くて、こむこと! すぐ隣の席に女がいて私はチンタウに二十七年います、私は奉天に何年。あたい、あたいと云って特別に響く声を出して、我もの顔でした。
 やはり盲腸のくされのなくなったのは有難いもので、大してそれでもつかれず。すこし体を休めたかったので広島からは二等にしました。ずっと真直かけたっきりで脚が切なかった、けれども、これは結局二等も同じです。やっぱり二人つまればなかなか楽でない。今のようにどうしたって一人でいられないように混むときには、三等もその点は同じという結論を得ました。
 途中はずっと東海道の花見をいたしました。サクラのニッポンというわけね、全く。実に咲いている。そして奇麗です。市内の桜のように灰色のよごれた幕ではない。夜になって、退屈になったとき、朝着いて一度よんだきりであった手紙出して、ゆっくり、ゆっくり、字と字との間をくぐったり、字にもたれて一寸ぼーとしたりしながら永いことかかってよみました。そして、何だか独特な豊富さで旅の心を味いました。自分の名の呼ばれている、その字に声が響いていて、その声の響から全身が感じられて、近くに近くにあることを感じる夜半の汽車の中。
 目前や周囲にくらべず、より高くと成長してゆける目安から考えるということは本当のことであるし、又本気で自分の生きかた、仕事に面したとき、云って見れば人類の古典と自身とが一つの直線の上にある感じで、ぐるりの同時代的相貌は煩わさなくなって来る。自身が古典として生き得るという直接の意味ではなく、芸術がいくらか分っているものは、恐らく誰でも、題材に向いテーマに心とられたとき、同時代の誰彼が、ああかいている、こうかいている、は消えてしまうでしょう。
 低いものと比べるという形で危険は現れないのです。こっちがましというような形では出ない。比べる気も持たず、そこまで自分を低く見ていず、しかもそれが、十分客観的に自他ともに見得ない(プラスが正しくプラスとされ、負の面はそれとしてこれ又
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