の危険しかも最も自覚され難い危険の一つとしての感想でした。その意味で、ひとごとでないというのは実際であると思います、あれを書いた気持も其故ですから。
去年の夏からユリが強ばったというのでもなく、去年の諸事情が、私に自分の経て来た道というものをおのずから顧みさせ、目前の事情に耐えようとして、その過去の道の必然であったこと、意味のあったことを自身に確め、認める傾きになり、そういう傾向の折から、客観的な評価や省察のモメントが与えられたという関係を、動的に内的に見て、私としては、折も折からというべき適切な時期に適切な打開であり、それは、倍の効果で作用したと感じて居るのです。些かなりともプラスであるからこそ生じた事情であるとして、真にそれを内容づけるものであったという風にうけています。それをもって守りとするべきようなものがあると、固定的に考えなくても、心理の傾きとしてね。あるところまで高いところへ出て見ないと低いところの景色が見えない。それは生活上の様々なことでも云えて、興味つきぬところです。
感想、一つの方(『中公』)は花圃の書いた明治初年時代の追想の鏡にうつし出されている当時代の開化[#「開化」に傍点]の姿の中にある矛盾や樋口一葉という人の、そういう貴婦人連の間にあっての境遇、芸術への反映というようなことと、先頃没した岡本かの子の人と作品とがその人の顔を見たときどうしても一つものとなってぴったり感じに来ない、その感じの妙なことについて。かの女の書く世界には、かの女らしい曲線、色、匂、重み、いろいろあるのだけれども、その人を見ると書くものがある空間をもってその人のまわりに立っている感じ。あれは妙でした。その人から生れたものにそういう妙な感じがあり得るでしょうか(そう表現はしなかったが)。これは稲ちゃんもはっきり感じています。其のことの中に、最後の書かれなかった小説がある感です。童女、童女と云ってね、その御主人が。もし大人の女の童女性というような言葉の好みを許すとして、そういうものが存在するとすれば、それは彼女の[#「彼女の」に傍点]夥しい、客観的になり立っていない幻想的な、デカダンスな、非人生的な作品の間にだんだん小さく遠のいて、丸く、白く、なおこっちを見ているように思われる、そういう彼女の哀れさです。勿論こんなことまでには云い及びませんが。『帝大新聞』には、文学とは何
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