らゆる神話は想像において、想像によって、自然力を征服し、支配し、かたちづくる。だからそれは自然力に対する現実の支配が生ずると共に消滅する」というのも何と面白いでしょうね。
――○――
菜の花の色はこの紙に押してつかないかしら。駄目ね、花粉がつくだけで、しかもすぐとんでしまいました。長くなるからこれでおやめにいたしましょう。きょうは寒いこと。それなのに大潮の由。潮干狩、この寒さでやる人もあるかしら。虹ヶ浜に潮干狩があるのでしょうね、やっぱり。では又。
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[自注8]第二巻への――マルクス『資本論』第二巻序文。
[自注9]この二巻の選集――ナウカ社版『マルクス・エンゲルス二巻選集』。
[自注10]過去の経済に関する学問への批評――マルクス「経済学批判」。
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三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十一日 第二十五信
けさ、十八日に書いて下すった手紙つきました(十六信)。何と膝をつき合わせ、私を総体でしっかり見て、云っていて下さるでしょう。僕はリアリストの筆調で書いているというところまで読んだら、胸が一杯になって、ひとりでに涙が出て来ました。どうしても泣けるところがある。ありがとう。ありがとう。私は、この頃自分たちの生活というものに深く腰をおろしいろいろ考え、しんとした心持で暮しているから、これらのことはみんな身にこたえてわかることが出来ます。私の真の成長の可能、私たちの生活からこそ花咲き得る筈の、まともなものを培おうとするあなたの真情がうって来、又、これまでの自分の何年間かの、一生懸命だと思っていた気持の様々の遺憾なところがいくらかずつなり見えて来ている折からなので、本当に乾いた眼で空々しく読むなど出来ない。涙は、私のむけたような心の上に落ちます。
ユリには、この人生に、揉まれるなりに揉まれつつそこからぬけて行くようなところより、頭を下げ、体をかため、それに直線的にぶつかって、それをやぶって前へ行こうとするようなところがあり、而も、ときにそれが体当りでなくて、体当りの気[#「体当りの気」に傍点]でだけいるときがあるのだと思います。『乳房』の序文の言葉は、一つの責任の感じもあって、そのようなものとしてまとめてゆきたい(「雑沓」について、ね)という希望をこめて書いたのでしたが。しかし
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