となった。と。そして「燃焼的形態において逆立ちしていた全科学をばここにはじめて直立せしめた」と。経済関係の基本的な点にふれて云われるが、どうもこの燃素的観念というものは、ひとごとならず笑えるところあり。文学における現実の発見とは何であるか。作家の内的構成がどんなに主観的範囲に限られて在ったかということを思います。自分の生活でだけ解決していることを、社会的に解決したように思ったり、現実の発見ということは文学を直立せしめるものであり、其故なまくらな足では立たせられぬというところでしょう。面白い。十四日の手紙で、文学の対象は(芸術家の対象と書かれています)無限に広いと云っていらっしゃる言葉。翫味百遍。この短い言葉のなかに、どれだけの鼓舞がこもっているでしょう。それから、私の二十三信にもかきましたが、ジャーナリズムとの角度のこと。私はひとりクスクス笑っているのです。だって、これも発見の一つでね。あなたという方の発見の一つの面をなすので。私は非常に単純ね。甘やかしていえば一本気とも云えるかもしれないが、そういうお鼻薬は廃止にしたから、やっぱりこういうところに、苦労知らず(ジャーナリズムとの交渉で)のところがあるのだと思う次第です。なかなか興味がある、発見というものは。私は幸だと思います、こういう発見をも世渡りの術的には発見しないでゆくから、(或は、おかげさまで)。
こういう点について考えると回想がずーっと元へまで戻って一つの場合が浮びました。それは私たちが一緒に生活するようになったとき『婦人公論』で何かその感想をかけと云ったでしょう、そのとき私が三四枚真正面から書いて、戻してよこしたことがあったの覚えていらっしゃるかしら。あのことを思い出します。そしてああいう風にしか書かなかったことを。――今ならきっと、読む女の人の生活を考え、客観的に諸関係を考え、書けたでしょうね。自分より、ひとのためにね。そんなこともよく考えてみると面白い。〔中略〕
[#図4、花の絵]ねえ、ここにこういうことがあります。「我々は自分で理解するという主たる目的の」ために二冊の厚い八折判の哲学の原稿を書いたということ。――自分で理解するために[#「自分で理解するために」に傍点]それだけの労をおしまなかった人たち。その労作がこのようにも人類生活に役立つということ。こういう展開のうちに花開いている個性と歴史。自
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