。きのう話し足りなかったのね、きっと(手紙でのこと)
三月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十五日 第二十三信
机の上の瓶の紅梅は、もう散りかけたので下のタンスの上にもってゆき、今はおひささんが夜店で買って来た菜種の花。よみせの薄暗がりで買っただけあって到って貧弱な茎や葉をしていて。
初歩の経済について、古い好人物大工のウエストンさんの説の誤りを正してやっている文章[自注4]。実に面白くよんで居ります。チンダルの「アルプス紀行」は、科学者が科学について書く文章の実に立派な典型であって、ファブルなど誤りの甚しい一例と感じましたが、こういう種類の文章の見本として文学的にさえ面白い。手に入っていること、底の底までわかっていること、情熱をもってつかんでいること、あらゆる現実の解明の見事さは、それなしには文章の輪廓の鮮明ささえもない。芥川龍之介の文章は作文です。嘘ではない。しかし彼の力がとらえ得る狭さをスタイルの確固さでかためようという努力がつよくみられる意味で作文的です、少くとも。文学の永生の一要素はスタイルであると彼はいい、メリメを愛した。しかし面白いわね、彼が今日および明日よまれるとして、それは彼の生涯の歴史的な矛盾の姿がよませているのだから。この場合、スタイルさえもその矛盾の一様相として現れている。
こういう筆致の生きている文学史が書きたい、今日の文学史が。ひどくそういう欲望を刺戟します。小説も書きたいと思わせる。この筆者の親友[自注5]の筆致はこうしてみると含んでいる何かがすこしちがいます。親友も実に卓抜であるが、こんなにはわたしを自身の仕事へかり立てない。これは興味がある点です。特にこの文章は大工のウエストン爺さんにわかりよいと同じに私にわかりよいからでもあるのでしょうが。
この本の中にこういう忘れられない一句がありました。「時間は人間発展の室である」|時は金なり《タイムイズマネー》という比喩との何たる対比。人間が生活と歴史について、まじめな理解を深めれば深めるほど、時間がいかに人間発展の室であるかを諒解してくる。「睡眠、食事等による生理的な」云々と、時間の実質が討究されているわけですが、こういう一句は適切に自律的な日常性というあなたからの課題へ還って来て、それの真の重要性というか、そのものが身についたときの可能性ポテンシャリ
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